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ひびのあれこれ
by happanappamama
自分のために
今朝の恩賜公園は
パッキリと晴れ渡った空に紅葉がきれいだった。

そんなに遠くないのに
最近はあまり行っていなかった恩賜公園。

新大橋通りを挟んで北側は
なんだか雑然としていて、あんまり空気がよくない気がするんだけど
水があって、小山があって、小さな林もある南側は
あまり人もたくさんいないせいか、とても落ち着くいいところ。


すがすがしい場所に行こうと思えば
遠くに行かなくても、すぐ近くに手ごろな場所はあるはずなのに
日々の雑事にまぎれてなかなか動こうとしない。

子どもたちが大きくなって
彼らが小さかった頃に比べたら
格段に自分のためだけに使える時間が増えているのに
”自分だけの為に”気持ちが晴れ晴れするようなことを
してあげていないかもしれなかなぁ。


来年のことを話すと鬼が笑うそうだけど、
来年は自分の時間を充実させる努力をしよう。


そして、地道にブログも書いていきましょう。
気張らずに、つまんないことでも
その時々に感じたことを記録することが大事。

自分のために。
# by happanappamama | 2011-12-11 11:07 | つれづれ | Trackback | Comments(4)
捨てる
午前中、物置の片づけをした。

父の会社に置きっぱなしにしていたあれこれを
整理・回収しなくちゃならなくなり。

大きなものではタイヤ。
小さいものでは本、その他。

自転車もある。
若かりし頃買った、プジョーのロードレーサー。

通勤に使ったりしてしばらく乗っていたけど
やっぱりドロップハンドルの自転車は
本気で乗ろうという気が無い人には向かなくて。

長い距離を乗るとお尻も痛くなってくるし
父の事務所にお蔵入りになって久しい。


happaが駅まで通学に使っていた自転車が
もうそろそろダメみたいなので
「乗る?」って聞いたけど
もっと別のタイプのが欲しいみたい。

相当昔ので、決していいものじゃないけど
10万円くらいはした自転車だから捨てちゃうのもなぁ…と思いつつ
やっぱり捨てることになりそうだ。

誰かがもらってくれれば差し上げたいけど
自転車にも流行などあるんだろうなぁ。

タイヤがもうダメだから運ぶのが大変だろうしね。

で、そちらの荷物も大量に捨てたけど
受け入れ側のこっちもそれなりに整理しないと
モノが入らん。

で、細々とあちこち片付けている。


やっぱりモノは少ないに越したことは無い。

捨てられない人だけど
だんだん捨てられるようになってくるものだな。

そして、
捨てた後は清清しい。



ジジ男は仕事でhappaはお出かけ。

片づけがひと段落した頃、nappaが帰宅したので
お昼ごはんはコンビニのいなり寿司とお握りで
一緒に済ました。


もっともっとモノがない空間を手に入れたら
もっともっと気持ちが開放されそうだ。

どこに何があるか、
自分で把握できる量のモノだけで暮らしたい。


買うときは相当吟味して
長く使えるものを選ぶようになったし
相当迷って、結局買わないという選択をすることが増えたにしては
どうしてモノって増えるのかな?って
素朴に疑問に思う。


四の五の言わず、もうヒト頑張りしてこよう。




# by happanappamama | 2011-12-10 14:43 | つれづれ | Trackback | Comments(0)
わたしなんて、こんなもん


この間、お友だちの”ふわこのばあば”さんのブログで読んだ。


「基本的にぼくらはたいしたことない人間なんです」
みたいなことを糸井さんが言ってたそうで。

”その表現がすご~くよくわかるな”と思って読んだんだそうです。

で、同じようなことを福山雅治サンも言っているらしく。


私もうん、うんと頷きつつ読みました。

私もとってもよくわかる。


自分の才能を鬻いで生活している方と比べるのはナンだけど、
私も年を取るに連れて
「ワタシなんて、こんなもん」という思いがどんどん強くなる気がする。

それは諦観とか、開き直りとかそういうのではなく
同時にソコハカとない幸福感も伴うようなもので。


若い頃だって、決して自分に自信満々だったわけではないけど
自分にしか出来ない何か、とか
自分にこそ求められる何か、とか

そういうものに対する欲求や憧れが強かったように思う。

どこかで、自分にしかできない何かが待っていて
自分はそれを成すために生まれてきて
そこへ向かっているんだ、というような
傲慢な思いがどこかにあった。

それは、まったく間違っていたとは言わないけど
私が思っていた壮大な(?)ものと比べれば、
私の生きる意義は、実にささやかなレベルのもの。


そして、「それでヨシ」と思う。

家族だったり、友だちだったり、何かの仲間だったり。

そういう小さいコミュニティの中での「私らしさ」「私の意味」みたいなものを
大事にしていきたいという思いが
どんどん強くなる。

ずっと昔、椎名誠サンのエッセイを読んだ時も
「講演会なんていうものに呼ばれて話をするのは、こっ恥ずかしい」
というようなことを言ってた。

こんな卑小なものが、皆様に何をお話すればいいのかと
身を縮めてしまうって。

自分の身の丈を知っているというのは
快いものだと思う。

自分のことを知っているのは、自分自身のはずなのに
自分については大目に見ちゃったり、
願望が強すぎて、実物よりも立派に見えたりしがちだった。

でも、他の人がどう思うか、ということとは全く関係なく
改めて、自分自身を過小に評価するのでも、過大に評価するのでもなく

「こんなもん」って知ってるのは
自分にとって清清しいことだ。

ここに来るまでに紆余曲折あったのだなぁ、という感慨も含めて
そんな自分が愛おしい。

それは生きていく上での知恵でもあり
そこそこの知恵があったからこそ、受け取ることの出来た思いでもあるような気がする。

そして、そういう自分がここに堂々と存在することが出来るのは
私だけの力じゃないんだよなぁって
改めて思う、土曜の昼下がり。


屋上では、nappaとY子りんとジジ男がビニールプールで遊んでる声が聞こえる。
むー子とはなびに水を掛けまくってる模様。

平和だなぁ。
# by happanappamama | 2011-09-10 16:09 | つれづれ | Trackback | Comments(0)
糸井さんの力を借りて。
今日の文章、ちょっと長いです。

面倒くさくても、是非最後まで読んでいただきたいと切望します。

今、環境省が
「動物取扱業の適正化について(案)に対する意見の募集(パブリックコメント)」を
行っています。

パブリックコメントって、
あまり聞きなじみのない言葉かもしれませんが
法改正にあたって、その法律に対する意見を国民が表明する機会です。

動愛法だけでなく、いろいろな法律で
パブリックコメントが行われているそうです。



日本の動物愛護に関する法律はとても古く
今の実態や世論・倫理観に必ずしも敵ったものではありません。

「動物の愛護及び管理に関する法律」(以下・動愛法)という名前に反して
必ずしも愛護の精神に溢れたものではなく。


ペットと呼ばれる動物たちのなかには
劣悪な環境の中で飼育され、一生を子どもを生むためだけに”生かされて”
繁殖能力がなくなれば殺されたり、遺棄されたり、
またはいくばくかの料金を払って行政に引き取ってもらうという子が
少なくありません。

人気の種類は、とにかく繁殖して
衝動買いでもなんでもさせて利益を上げるということが
普通に行われています。
夜中の繁華街でワゴンに乗せて
酔客相手に商売している業者もいるそうです。


全国にたくさんあるペットショップに生後2ヶ月程度の子犬仔猫が
年中展示販売されている裏で
相当数の”売れ残り”や病気・怪我などで売り物にならなくなった子が
処分されています。

一般の飼い主の中にも
「引っ越すから」「吼えるから」
「大きくなって、かわいくなくなったから」という
理由とはいえないような理由で行政に持ち込む人が後を絶ちません。

現行法では
行政は、そういう動物を引き取らざるを得ないそうです。

引き取られたり、捕獲されたりした犬・猫(猫に関しては、ほぼ飼い主の持ち込み)は
保護施設のキャパシティの問題もあり
ほとんどが殺処分されます。

飼い主の持込の場合、翌日処分。
捕獲された犬は自治体によってまちまちですが、長くて1週間程度保護され
飼い主や引取りたいという人が現れなければ処分されるのです。

処分の方法は、安楽死ではなく
ほとんど二酸化炭素ガスによる窒息死。
絶命するまでに時間を要し、若い子ほど苦しむ時間が長いといいます。

殺処分される犬猫は年間で28万頭。
全国で、毎日毎日800頭近くが殺されている計算です。

飼い主がいないというだけで。
捨てたのは人間なのに。


「動愛法」の問題点は様々あると思いますが
今回は、「動物取扱業の適正化について(案)」のパブコメが行われています。

前回の法改正にあたって
やはりパブリックコメントが行われたのですが
パブコメについては知らない国民が多いまま
法改正について熟知している業者側が組織的に動いて
(業者も国民なので、意見を述べる権利はもちろんあります)
50倍もの大差がついて
改正間違いなしと見られた項目が見送られたそうです。

私は是非、多くの人に
このパブコメに参加してほしいと思っています。

…が、パブコメを書くのってややこしい。
まずは法律や法改正にあたっての意見など
目を通さなくちゃいけないものが結構ある。

私はいろんなページを参考にして意見を送りましたが
「動愛法が動物の立場に立つものに変るのは賛成だけど
 難しいし、自分の意見を述べるのはちょっと…」という多くの人に
協力を求めるのは難しいような気がして
会う人にはさりげなくお願いする、程度のことしか出来なかったのですが
最近、いろいろなページでパブコメをいかに簡単に書くか、
が紹介されているのを見て
私もと思って記事にしました。

先日糸井さんの「ほぼ日」でも協力を求める記事が出て
多くの人がアクセスしているみたいで
期待が持てます。

ちばわんでも、簡単にチェックを入れて記名さえすれば送れる提出用紙を
ダウンロードできます。
(メール添付は不可。郵送かFAXで)

私も、「こんなことお願いするのどうかな」なんて思うのをやめにして
是非にと協力を求めます。

パブリックコメントの受付は 8月27日(土)必着。
今回は動物取扱業の適正化についての意見を求められていますが
今後、その他の部分に関しても意見が求められることになると思います。

もし、少しでも関心を持ってくださる人がいたら
27日までにパブコメを送って下さい。

自分の住所氏名を明らかにする必要はありますが
「ほぼ日」からのリンクは
コピペしてメールで送信(必ずメール本文に。添付ファイルはダメです)可能。
「ちばわん」の用紙はプリントアウトしてファックスで意見表明をすることが出来ます。

今度の法改正を逃したら
また何年もそのままの法律が適用され続け、
飼育環境が改善されないまま、何の希望もなく一生を終える動物たちが
いなくなることはありません。


動物の命に関しては
いろんな考えがあると思います。

私も肉を食べるし、魚も食べます。手に吸い付いている蚊は叩きます。

でも、少なくとも
人間が愛玩することを目的に、人間が繁殖させている動物に関して
人間の側の身勝手や都合で
理不尽に殺されることのない社会が来ればいいと思っています。

犬猫が飽和状態なら、殺すことになるのなら
これ以上繁殖させてほしくない。

犬猫にとって
自分が生きるか死ぬかを決めるのが運だけ、という社会より
生まれたその子の一生に誰が責任を持つのかが
明確な社会のほうがいい。と私は思います。


是非、多くの方が協力してくださるよう願います。

# by happanappamama | 2011-08-20 22:24 | つれづれ | Trackback | Comments(0)
7月
もう7月が終わってしまうとは。

このひと月あまり、
決断しなくちゃならないこと、考えなくちゃならないことが
次から次へと押し寄せてくるような思いで過ごした。


命について…なんて、軽々しく言えるものではないけれど
まさしく命について、
何かに追い立てられるように
こんなに考えたことはなかったかもしれない。


世の中には
考えなくちゃいけないことはいっぱいある。

でも、
そのそれぞれに、深く関与していくことは難しい。

器用で無い私は
せめて、自分が今目を向けたことに
出来る範囲で力を注いでいこう。

たまたまそこに目を向けたに過ぎないけど
目を向けたからには、知らんぷりして通り過ぎちゃダメ。


なんて、前にも言ったような気がするな。
毎日、おんなじ様なことばかり考えてるからかもしれない。

でも、このひと月考えたいろいろは、
考えてよかったことばかり。


訳知り顔の大人じゃなく
青臭い気持ちで、ここからまた考え続けよう。

あー、いくつになってもこんな風だ。
進歩がないなぁとため息も出てしまう。


ここしばらく、月末しか書いてないような気がするブログ。

今月ひとつも更新してない、って慌ててメモした風だけど
来月は楽しいこともいっぱい書くぞ。
# by happanappamama | 2011-07-31 22:30 | にっき | Trackback | Comments(0)
思いの行方
ファンタジーに相当する日本語って何だろう?
とうことが、ちょっと気になった。

御伽噺、かな。


現実には決してありえないだろう、と一般的には思われていることが
物語や映画になって目の前に現れると
そういうことだって、あるに違いないという気持ちに、
簡単にさせられる。

あるに違いないっていうよりは、無いわけがないっていう方が近いかも。

だから、不思議な物語りが好きだ。


私自身、ハタチの年に
とても不思議な思いをしたことがある。


嘘と思われたり、気のせいだよと言われたりするのが嫌で
ほとんど誰にも話していないけど
その記憶は20年以上経って、どんどん臨場感が薄れていく。

鮮明な思い出だったのに、と思うととても悲しい。




昨夜久しぶりに『千と千尋の神隠し』を見た。

初めて見たのはhappaが1年生の時。
赤ちゃんだったnappaをジジ男に預けて、happaと2人で見に行った。

劇場で見ると臨場感が素晴らしくて
知らない世界のそこはかとない怖さと、不思議さで
一気に、この世のすぐ隣りにある妖しい世界に入り込んでしまえる。

happaもそうだったし、happaの同級生たちもそうだったようだけれど
子どもたちにはおしなべて、両親が豚になってしまうシーンが
とにかく恐ろしかったようだ。


happaはその後、ジジ男と2人で再度見に行ったけど
恐ろしかったそのシーンを見なくて済むように
タイミングよくトイレに連れて行ってもらった…という話を昨日聞いた。

そういえば、ジジ男がそんなこと言ってたような。
初めて見るジジ男は、重要なシーンを見逃しちゃってたんだな。



映画の最後に流れる木村弓さんの歌とライヤーの音。
ちょっとセピアみたいな色でバックに映し出される
無人の風景や部屋の中の様子。

何度見ても、
ハクの名前を思い出すシーンからずっと
涙が流れて止まらない。



美しいものを見たり、聞いたりして胸が熱くなるとき
この思いはいったい何だろうって思う。

私が感じているものは、何なのだろうって。

「生きている不思議 死んでゆく不思議 花も風も町もみんな同じ」という歌詞を聞きながら
生きることって、死ぬことって、なんだろう?って
また性懲りもなく考える。


生きているうちに、その人が感じたいろいろは
結局どこへ行くのだろうか。

私が感じていることって、どうなってしまうのだろう?
感じることってどういうことなのか。


思えばすごく若い頃から
感じることについて、繰り返し繰り返し考えてきたように思うけど
何度考えても、
あわせた三面鏡の奥が永遠に続くみたいに
きっと終わりがないものなんだろう。

こういうとき表現者は
音楽だったり、絵だったり、彫刻だったり、踊りだったり…
様々な方法で自分の思いを形にすることができるのだろう。

私もどういう形でか、表現したいと切望する。


それはでも、誰かに見せるためじゃなく
自分で再確認するために。

思いを共有するためじゃなく、伝えるためでもなく、
何かに胸を打たれたときの気持ちを形にできればなぁ。


そうやって、自分の思いをちゃんととっておきたい。

その時のままの気持ちを
あとで好きな時に取り出せたらいいな。


「閉じていく思い出の そのなかにいつも
 忘れたくない ささやきを聞く
 こなごなに砕かれた 鏡の上にも
 新しい景色が 映される」

# by happanappamama | 2011-06-27 22:20 | つれづれ | Trackback | Comments(4)
開放
いつも前を向いてなんていられない。

自分の日常を振り返って、
落ち込んだり、がっかりしたり、仕方ないとあきらめたり、
でも、これでいいんだと思ったり、よーし頑張ろうと自分を奮いたたせてみたり。

浮いたり沈んだりを繰り返しながらの毎日だ。



毎日を少し離れたところから眺めてみて
ソレが自然なんだって思う。

いろんな顔があって、それが自分だ。

そして、なんでもかんでも前向きでいようとすることの
不自然さと気持ち悪さを思う。

時に後ろ向きといわれる気持ちになったって
それが何だというんだろう。

沈んでいる今があるから、浮かび上がった喜びを実感できる。
前向きでいられるときは気持ちが健康なとき。
健康ではいられないときがあるからこそ、健康なときのありがたさが身にしみる。

弱音を吐いて、弱音を吐く自分を見つめればいい。
それを良しと出来なければ、そこからどうにか道を探っていけばいい。

おしなべて前向き、でいいんじゃないか。

よーし、がんばろうって思える瞬間があれば
それでいいんじゃないだろうか。


などなど、思うこのごろ。

梅雨寒という言葉はどこへやら、
眩しい夏空が、気持ちを拓かせてくれる。


いろんなものから離れて、ポツンとひとりになってみて
その解放感の素晴らしさよ。

この距離感こそ、自分なのかもしれないな。

# by happanappamama | 2011-06-24 14:28 | つれづれ | Trackback | Comments(0)
小さなことが
私がご飯をつくること。

本の一節に深く気持ちを揺さぶられること。

みんなで月を眺めること。

nappaが些細なことで大笑い。

犬のむー子がピヨピヨ鳴いて、みんながそれを愛しく思うこと。

ウチのメダカの鉢を見た近所のおばさんが
「生きものっていいですね」って言ってくれること。

ジジ男の親父ギャグと
彼が大事にしているお花畑からひょっこり出てきた、なくなったはずのカマキリの卵。

遠くから聞こえてくるhappaのギター。

みんながおかわりをしてくれる大鍋のシチュー。


日常の、
ひとつひとつは取るに足らない小さなことこそが
毎日を大きく膨らませ、豊かにしている。

どんなものとも取り替えたくない、小さく積み重ねてきた日々。



枯らしてしまったポトスに、新しい葉っぱが出てきた5月の終わり。

そんなことを思ってジンとした。
# by happanappamama | 2011-05-31 21:24 | つれづれ | Trackback | Comments(0)
ごちゃごちゃだけど。
あまりにも大きかった地震の後、もうひと月以上何も書いていない。

書いている傍から、
こんな風に考えているんじゃない、とか
なんだか嘘っぽい、とか
こう、うまく自分の思いを文章に出来なくて
書いてはやめ、書いてはやめ、を繰り返してしまう。


被災地の人はもちろんのことだけれど
ほとんど被害のない地域に住む私たちでさえ地震以前と同じではいられない。

この、言葉が出ないほどの大きな災害は
日本という国のありようを、大きく変えてしまったし
もっと言えば、世界のありようさえも変えてしまったと思う。



地震が起こる以前から
「日本は(あるいは、世界は)いま、大きな転換期を迎えている」というようなことを言う人が
たくさんいた。


いわゆる識者と言われる人だけじゃなく、わたしの周りの、ごくごく普通の人でさえも。

このままでいいの?本当に大丈夫なの?という、何か予感のようなもの。


私たちの生活を支えるあらゆることが
実は危ういものだということに、多くの人が気付き始めていたということなのだろう。


そこに、たまたま起きたこの大きな災害によって
危うかった諸々をはっきりと見せられたと感じているのは
きっと私だけではないと思う。


一度手にしてしまったものは手放せない、と私自身思ってきたし
進んでしまった時計の針は戻せないと言う人もいる。


でも。


このまま、まったく方向転換をせずに
まっすぐ突き進んでいくことができるとは思えない。

どちらか一方に大きく舵を切らなければならないのが今だ、という気がする。


地震の前と、同じ思考回路でモノを考えてはダメだって思う。

こうして、小さな自治体の運営を委ねる人を決めるときこそ
そういう視点を忘れずに投票したいって思ったけど
選挙公報で候補者の主張のほんの一部を知ることが出来ただけで
いつものように連呼される名前だけが頭に残る選挙戦だった。

大きく世の中を見なければならない立場の人はなおさら、
いままでのやり方に囚われず、もっと柔軟に知恵を出しあって
それを結実させる努力をしてほしい。



地震以来、自分の考えるどんなことも、
地震と、地震に関わることに繋がってしまう。

でもそれはどれも、地震がなくても考えなければいけないことだった。

あの地震は、私たちに、ちゃんと考えなさいと言っている。

考えることがたくさんありすぎて、ちっとも形にならないけれど
私も少しずつでも外に出していこう。

連日、ごちゃごちゃな頭の中だけれど。




# by happanappamama | 2011-04-24 23:43 | つれづれ | Trackback | Comments(5)
なんでもないように見えて。
3月11日の地震発生当時、nappaは公園で遊んでいた。

大きな揺れのあった、その日その時
そばに家族がいなかったということで、とても恐怖を感じたようだった。


ほどなくして、彼女は無事に家に戻ったけれど
それから延々と流されることになる、恐ろしい報道の連続と、時々襲う余震に
一見、普段どおりのnappaであるように見えて
何かに大きく傷ついてしまった感はぬぐえない。

些細なことで涙を見せたり
もともと甘えん坊ではあるけれど、さらに甘えの度を増していたり。

頭が痛いとか、気持ちが悪いと言ってみたり
食欲がないということも
ここしばらくよく口にするようになっている。


大人が真剣な顔でニュースを見つめていたり
新聞にかぶりついているのを肌で感じて不安になっている
…ということも一因だと思う。

震災翌日から、なるべく普段どおりの生活を…と心がけてはきたけれど
やっぱり、まったく普段どおりではいられないし
心のありようは、敏感な子どもにはすぐにキャッチされてしまう程に
ザワザワと波立つ。


そんな震災からの日々、
むー子さんの存在が家族のみんなに慰めを与えている。

大きな揺れが来ると、
目に見えて震えだすむー子さんを
”姉”を自認しているnappaが「大丈夫だよ。みんないるからね」と抱きしめる。

nappaは
自分より小さい者が家にて、
自分は彼女を守ってあげなければいけない立場なんだと自覚することで
しっかりしなくちゃという風に、彼女自身の気持ちを立て直せているように思う。

ご飯をあげたり、遊んであげたり、からかったりして
大変な状況を一緒に生きる小さな家族のために
普段以上に力を注いでいるように見える。


ほかの家族も、
むー子の可笑しな行動を笑ったり、
となりにくっついて眠っているむー子を撫でたりこねくり回したりしながら
彼女の体温に癒されている。

パパ以外の3人は、
うまく説明できないけど、何かにつけてむー子語を話す。

むー子が窓の外を眺めているのを見て 「アタシ、眺めるわ」 とか、
一人で遊んでいるのを見て「アタシ、遊ぶわ」とか、
「むーむはママが大好きなんだよね~」と話しかける私の声を聞いて
「そうでもないわ~」とか。

共通認識としてある「むー子の声音」で好き勝手なセリフを吐くのだ。

それで、家の中がパッと明るくなる。

当のむー子さんは、そんなことには一切関係なく、マイペースに自分の生活を営んでいるけれど。



頭が痛い、気持ちが悪いと訴えるnappaを、2日欠席させた。
こんなときだし、無理に学校に行かせなくても構わないんじゃないかと考えて。

今日は行く、と言って学校へ出かけて行った。


むー子の様子を見たり、
昨日ささやかながら仙台Yに届けるべく送った救援物資のために
自分のお小遣いを差し出したりしながら
気持ちのどこか深いところで、変化があったのじゃないかな、と
オカーサンは思う。

登校禁止・自宅待機のhappaが、いつも以上に構ってくれるのも
きっと、彼女の気持ちを押してくれている。


遠く、被災地の方々に思いを馳せながら
ほとんど目に見える被害のなかった東京の私たちは
やっぱり自分ができることを、できるときに、ちゃんとやれるようにスタンバイしておくことが
大事なことだと思う。


これ以上、被害が大きくならないように。
一人でも多くの人が助かるように。
とても難しいことかもしれないけれど、
被災した方々が一日も早く穏やかな気持ちで生活できる日が来ることを願う。


nappaが学校から帰ってきたら、3人でトランプの「大富豪」をする約束なのだ!
昨日焼いたバナナケーキを食べながら。

今日も一日がんばろう!
# by happanappamama | 2011-03-18 11:49 | にっき | Trackback | Comments(0)
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