ひびのあれこれ
by happanappamama
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あの夏
日航機墜落事故から25年の今年
数日前から新聞やテレビで関連のニュースを見かける。

あの夏のあの時のことは
自分のそのときと絡めて覚えている人が多いようだ。

そのとき、自分が何をしていたか。

あの時、物心つく年齢だった人の多くが
きっと、そんな風にあの事故を記憶してるんじゃないだろうか。

私は、翌日から始まる中高生対象のワークキャンプの先発隊として
前夜のうちに現地入りしようと車で移動している最中だった。

ワゴン車に乗っていたのは、多分5人。
まだ首都高にいるか、中央道にはいったばかりくらいの時間、
ラジオから日航機がレーダーから消えたというニュースが流れていて。

はじめは、レーダーから消える=墜落とは思わなかった。

でもだんだん、これは大変な事故なんだという緊迫感が
ラジオを通じて伝わってきた。

何年かして、たくさんの検証本が出版されて
私自身は、たぶん事故から20年という節目の年あたりに
そのうちのいくつかを読んだ。

ご遺族側の思い、報道する側の視点、日航の内情、本当の事故原因。
補償の問題などで、ご遺族が言われなく非難されることもあったようだ。

いろいろなことが語られる中で
やはり胸を引き裂かれるのはご遺族の思いと、そして亡くなった方々の思いだ。

遺書を残した人の、その落ちていく機内で書かれた文字を見ながら
どんな思いでこれをしたためたのかと考えずにはいられない。

検証本の中で、とても驚いたのは
墜落直後にはかなりの数の生存者がいたということだ。

奇跡的に生還された方へのインタビューの中に
近くでたくさんの子どもの声がした、という談話があった。

その中で、その方が特に覚えているのは
小さい男の子の声で「おかあさーん」と何度も呼ぶ声だったそうだ。

一緒に旅をしていたのか、別だったのか。
どんなにか恐ろしく心細かったろうと思うと、涙が止まらない。

生存者の中に男の子はいなかったのだから、その子はその後息を引き取ったのだろう。

今となっては、
もっと早く墜落現場が特定できていればと言ってみたところで仕方がないけれど
夜だったことも、そのころ御巣鷹山という山の名前を知っているのは
ほとんど地元の人だけという無名の山だったことも
もし、状況が違っていたら…とつい考えてしまう。


25年目の今年、改めて
事故で亡くなった方々のご冥福を心からお祈りします。
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by happanappamama | 2010-08-12 18:12 | つれづれ
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