ひびのあれこれ
by happanappamama
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アンのこと
久しぶりにココに何か書こうと思ったら
パスワードを忘れちゃって、しばらくログインできなかった。

なんてご無沙汰しているんだろう。
前はちょくちょく開けていたのになぁ。
記事投稿の仕様も変わっちゃってるし。


『花子とアン』を楽しみに見ている最近。
連続テレビ小説は、みんなが見ていた『あまちゃん』も見ていなかったのに
村岡花子さんの生涯だと聞けば、つい見たくなってしまう。

『赤毛のアン』は、中学1年生の夏休みに初めて読んだ(のだと思う)。

長い物語を読むのが、決して得意ではないと思っていたそのころ
この超分厚い(…と当時の私は思った!)文庫本を1冊読み終えたというのは
「どんなもんだ!」という気にさせられた。

私はアンの物語が大好きになって、
それから今まで、何度その本を読んだかわからないくらい読んだ。

いい加減何度も読んで、ちょっとだけ本の傷みが気になり出すと
最初に買った文庫本は愛蔵版として引退させて
別にもう一冊買って、好きな文章に赤鉛筆で線を引いたりした。
わざわざそのために、やわらかい朱赤の色鉛筆を買って。
f0169643_15071880.jpg
(下が最初に買った文庫本。今出版されているものとは表紙の絵が違うし、背表紙も最初は白かった)

そのとき線を引いた箇所を見返すと
今とほとんど変わらない感性だったのだなぁと思う。



私も小さい頃、いろんなことを想像して楽しむ子どもだった。
そして、ものすごく些細なことをいつまでも覚えている子どもだった。

想像と現実と、区別がつかなくなっちゃうこともいっぱいあったような気がする。
いま考えると「あれはほんとに想像だったのかな?」って思うことも。
もしかしたら現実だったんでは?って。

自分が空を飛んでいたことだって、
全く当たり前の記憶としてその感覚さえもちゃんと覚えている。
高校生になってからも、その幼い頃の記憶を、自分が間違いなく体験したことだと信じていた。

大人になった今、頭では「想像の中の体験なのだろう」って思うけど
やっぱり空を飛んでいる感覚は、ちゃんと自分の中にあるんだよ。
階段だって、お尻をつかずに座ったまま移動していた記憶があって、
お尻と階段の間にある、弾力ある空気の感じさえ、ちゃんと覚えている。

扉を開けずに通り抜けたこともあるんだけど
これはその感覚をちゃんとは覚えていなくて残念だ。
20歳くらいまでは確実に身体が覚えていたんだけどなぁ。


『アン』のシリーズは、最後までは読んでいない。

今思えば、アンの物語は結果オーライの物語だ。
もちろん、そこが好きなんだし、
アンの書かれた時代に求められていた物語はリアリズムではなかったはずだし
モンゴメリさんも、夢のような物語としてそれを残したかったに違いない。

でも、物語の中の人生も、いつも必ずハッピーでいられるはずはなく
ギルバートと結婚して、子どもたちとともに炉辺荘に移り住んで
子どもたちが成長するにつれて
少しずつアンの家族に忍び寄る不安の影みたいなものが見えてきて
そのまま読まなくなってしまった。


『赤毛のアン』は、別の人の翻訳も出ているけど
やっぱり村岡訳が一番しっくり来るのは、
本の中のアンと同じように自分も一緒に体験しながら読んだ物語だからだ。

古い日本語の、美しい言い回しもとてもいい。
多感な時期にこの本を読んだ人はやっぱりこの訳から逃れられないだろうけど
nappaたちはどうだろうか。

自分が読んだ最初の訳には並々ならぬ愛着があるものなんだよね。
『星の王子さま』もやっぱり、内藤濯さんのものが好きだ。


今日は暑いから、窓は締め切りでエアコン作動中なのでとても静か。
nappaちゃんは明日まで中間試験で部屋に篭り中。
ジジ男とhappaはお出かけ中。
犬たちはまったりお昼寝中。

私はお茶を飲みながら、久しぶりにアンを読んでみよう。
そろそろ夏だ。
新潮文庫の100冊気分が近くなってきた。



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by happanappamama | 2014-06-01 15:46 | ほん | Comments(0)
J.D.サリンジャー様
新聞の書評欄はあまり参考にならない。

ウチはもうかなり前から「変えようかなぁ」と思いながら読んでいる朝日新聞なんだけど、
なんだか、非常に頭のいい人だけを想定してるのかな?っていう本が多いような気がするし。

でもやっぱり毎回目を通してしまう。

単純に、本について誰かが語っているのを聞くのが好きなせいもあるんだな、きっと。
実際に新聞の書評欄を見て手に取った本って、数えるほどしかないんだけど。




でも今日の書評欄。

『サリンジャー』というタイトルの本が最初に目に飛び込んできた。

f0169643_1682170.jpg



















あらあら、興味を惹かれちゃうじゃないか。



サリンジャーは高校生のときに初めて「フラニーとゾーイー」を買ってから
(多分、読んだのはずっと後…というところがミソ)
なんとなく、いつのときも身近にいた作家だ。

初めて一人で西ヨーロッパへ出かけたとき、
言葉のあんまり通じない、一人ぼっちの不安を振り払うみたいに
持って行った『ライ麦畑でつかまえて』を読んで読んで読んだ。


誰もがそのタイトルだけは知ってる本だし、
若者は読まなければならない、みたいにも言われていたし、
なんといっても、そのタイトルがなんだかカッコよかったんだよね。

で、読んだら想像していた内容とは全く違って(笑)


想像では主人公は女の子で、もっとふわふわした小説だと思ってたんだけど
実は精神を病むほどにナイーブな少年の話だとは
全く思わなかったなぁ。

邦題がちょっと、違うものがたりを想像させるようなタイトルだしね。
浮ついた感じも無きにしもあらず、で
違うタイトルだったらどうだった?なんて思ったりする。




異国の地で、
ユースホステルのベッドの上や公園のベンチなんかで一人ぼっちで読んだということも、
もしかしたら大きく影響しているかもしれないんだけど
この本はとても大事なものになった。


サリンジャーの小説は、多分出版されているものはほとんど読んでいて
この『ライ麦~』はこの作家の、決して一番好きな小説じゃあないんだけど
それでも、懐かしさとか、外国で感じたいろいろと相まって
タイトルを聞いただけで、胸の辺りをぎゅっと掴まれるような感じがするし

今思えば、サリンジャーに触れて以降
小説の楽しみ方がちょっと変わったようにも思う。




で、本日の書評欄の『サリンジャー』。

著者のケネス・スラウェンスキーさんという方はサリンジャーの熱狂的なファンで
この本の中には知られざるサリンジャーがいるらしい。

私がこの世に誕生した頃には、もう隠遁生活に入っていたサリンジャーが
そこで毎日、発表する予定のない小説を書き続けていたことや、
もはや「仕事と祈りのふたつは区別がつかなくなっていた」ほどに
書くという仕事に没頭していたことが語られていて
やっぱり私はうれしかったな。



選者は、いとうせいこうさん。
この方の選ぶもの、気軽に「読んでみようかな」と思わされるものがたくさんあるような気がする。
文章も、変に勿体ぶってなくて好きです。



書評の最後に、嬉しいような、胸がチクリと痛いようなニュースがひとつ。
隠遁生活中に執筆された5作品が来年以降順次出版されるらしい。


モチロン読みたいけど、
生前、ご本人が承諾していたことなのかしら?ということも、ちょっと気になる。
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by happanappamama | 2013-10-13 16:28 | ほん | Comments(0)
鏡の奥
件の対談本、おもしろかった!

対談だから読みやすかったけど、実はわからないことがたくさん。


いろんなところに話題が飛んで、
それが全部、ちゃんとつながりのあることだから、
そういう話の広がりがとてもオモシロかったんだけど、

ちゃんと理解したかと問われれば
数学苦手のワタクシには、わからない話題もいろいろあった。


河合先生は、かつて高校で数学の教師をなさっていたらしく
『博士の愛した数式』の著者と、数字の話で盛り上がる。

その辺のオモシロさが、いまひとつわからないんだよ。
残念。


数学っておもしろいんだなと思うようになったのは
数学を、もう勉強しなくてよいことになってからだ。

数学ができないって、実はどこかでコンプレックスでもある。

世間とか、誰かに対して引け目を感じてる…というわけではなく
大事な一部分を勉強せずに来てしまった忘れ物感みたいな。

昔は
数学なんて、基本的な計算さえできれば実生活にカンケーないじゃん!
などと思っていたけど
それは数学を知らないものの浅はかな考えだったんだなー、と思うことが、
年を追うごとに増えた。



何年か前、わかりやすい数学の参考書を見つけてから
時々、その本で勉強している。

”ほー、なるほど”などと感心しつつ
かつて積み上げてこなかった数学の基礎を学ぶことで
抜けていた何かを取り戻すような気持ちになって安心する。


だからって、ちゃんと身についているかといえば、
それはまた、別の話なんだけど。

数学ができる人が語る
数字の美しさみたいなものは、まったくわからない。

美しいんだろう、っていうことは想像できるけど
美しさ、そのものはわからないんだなぁ。

わかりたいけど。


対談本は
数学の話だけじゃなく、宗教の話や、カウンセリングの話、人間そのものの話もあり
とても興味深い。

そして
「じゃあ、もう疲れたからこのへんで。あとはまた次回にしましょう」

なんて対談を終えながら、
その直後に河合先生が倒れて、そのままになってしまったというのが切ない。


河合隼雄さんの本は、どれもとても勉強になる。
知らないことを、知らないままで終わりたくない、という気持ちにさせられる。

この対談本も
ついていけない話題も、もちろんあったけど
扉を開けて待っててくれるみたいな感じが、常にある。

こういう人が自分の先生だったら
私ももっと勉強したのになぁ、なんて思ってしまう。

勉強して、同じ土俵で会話したいって思うだろうな。



その本を読んで終わり、じゃなくて、その先がある本はいい。



子どもの頃
母の三面鏡に顔を挟んで
どこまでもどこまでもどこまでも続く鏡の中の世界を怖々見つめた。


知りたいこと、もっと深く理解したいと思うことを増やしてくれる本って
鏡の奥に踏み込んでいくみたいな、そんな感じと、
どこか似ていなくもないな。
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by happanappamama | 2011-02-28 22:17 | ほん | Comments(4)
ヤマ本など
nappaと買い物に行ったついでに、ブックセンターで本を買った。


河合隼雄さん+小川洋子さんの対談本と、『わたしのマトカ』


『わたしのマトカ』は、「かもめ食堂」に慰められまくっている頃
図書館で借りて読んだ。

装丁も好きだし、
片桐はいりさんのエッセイがツボだったので欲しいなと思っていたんだけど、
買わないまま今に至って。

”もう文庫になってたんだ”と思いながらラストのページを見るともう4刷目。

本の質感とか、やっぱり全体的にハードカバーの方がいい感じだけど
保管するスペースとか、もろもろ考えると文庫版はありがたい。
たまたま見つけたのが文庫版だったし、これもよし。

この後の『グアテマラの弟』も面白かったから、文庫を見つけたら買おう。


夕飯が済んで、のんびり買ってきた対談本を読んでいたら
happaが「こんどクライマー系の人が書いた本を読みたいな」という。

そんなことを言われちゃうと、推薦せずにはいられないじゃないか。


私もかつてヤマ本に嵌り、その後も時々山系の本が恋しくなってよく読んだ。

ノンフィクションも、小説も、それぞれに面白さがあるけど
事実に基づいて書かれたものは、やっぱり迫力がある。

ただね、本を薦めるってちょっと躊躇する。
あんまり熱く薦めてしまうと、受け取るほうはゲンナリしちゃうだろう。
薦めるほうと薦められるほうに、あんまり温度差があると
その本をかえって遠ざけてしまうかもしれないし。


とりあえず
「ウチにも、ヤマ系の本いっぱいあるよ」とだけ言ってみた。

そしたら
「じゃあ、貸して。あ、でも来週から期末だ」と。

そうだよ、来週から彼は学年末試験だ。

しかし、私も経験あるけど、
そういうときに限って読みたい本が登場しちゃうんだよね。

試験とは関係のないことに俄然興味が湧いちゃったり、
挙句の果てには、普段はしない部屋の片付けに精を出してみたり。

すぐに本を持ってきてあげようかなと思ったけど、試験後にしよう。

春になったらひとりで山に行きたいなんてことも言ってるし
ヤマの本で、山の危険を学習しておいていただこうではありませんか。



山に行くなら、山のことを学びなよ!と言えば、
もちろんヤツは読むだろうから。
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by happanappamama | 2011-02-26 23:33 | ほん | Comments(4)
『やったぜ!ライナス』再び
子どものときから大好きだったPeanutsシリーズ。

日本橋高島屋の5階にピーナツのグッズを売っているコーナーがあり
そこだけなんだか日本っぽくなくて
小学生の私にはワクワクする場所だったな。

スヌーピーの絵のトレーナーを買ってもらって
大喜びしたり。

しかもそれが、渋柿色の地に黒一色の線でスヌーピーが描いてある
なかなかナイスなセンスのトレーナーだった。

その頃買ってもらった布のバッグとか
今も持ってるけど(物持ち良すぎ!)、とてもいい。

ヘンに子どもっぽくなくて。


そこには、ぬいぐるみとか、バッグとか、文房具とかと並んでコミックスも置いてあって、
小学生…といっても、まだ3年生くらいの私には決してわかりやすい漫画ではなかったけど、
よく母に買ってもらった。

初めて買ってもらったのは『やったぜ!ライナス』。
スヌーピーがまだ四足で歩く、犬っぽい犬だった。

オレンジ色…というか、柿みたいな色で、
ライナスが上に向かってボールを投げ上げている横に
パティとバイオレットがいる絵の表紙。

いかにも日本の漫画じゃなくて
売り場に並んだどの表紙も、色がキレイで。

見ているだけでワクワクしたし、持ってるだけでうれしかったな。

鶴書房という出版社が出しているシリーズだった。


時は流れて、
子ども服売り場には行かない年齢になり、
手持ちのシリーズをくりかえし読むくらいで、
新しいピーナツを買おうとは考えていなかった時代を過ぎて
ある日、「新しいのが読みたい!」と突然思ったのは
多分もう仕事をするようになってから。

職場が神田だったから
仕事帰りに三省堂とか書泉をめぐってピーナツシリーズを探したけど
ぜーんぜんない。

調べてみたら、もう鶴書房は存在していなくて
講談社がピーナツの出版を引き継いでいるらしいと知って改めて探したら
(*現物を見たら、講談社じゃなくて角川でした。2011.1.7)
見つかった講談社版は、今も手元にあるけど、原作の良さをまるっきり台無しにしている装丁。

しぶしぶ何冊か買ったけど、
”あー、あのツルコミックスはもう読めないのかぁ”と
相当ガッカリしたのを覚えている。


更に時は流れて
ネットオークションでモノが買えるという時代になって。

ある日、またまたピーナツシリーズを思い出した。
ヤフオクならあるんじゃないか!?って。

探したら、あったあった、ありました!

20~25冊くらいセットになっているのを、ライバルと戦ってまで大人買い。
でも、買ってよかった!


引越し前に、一時置いておくつもりで別の場所に保管していたのを
このお正月休みの間に持ってきて本棚に並べた。

本棚に並べても映えるんだよ。鶴書房版は。
講談社版は安っぽくて、後ろに隠しておきたいくらい。



ウチの子どもたちもピーナツ好きだから、
いつの間にか何冊か、居間のテーブルの上に乗っている。

家族でピーナツ読んでる図というのも
なかなかいいものなんじゃないかと、密かに思っています。
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by happanappamama | 2011-01-06 21:33 | ほん | Comments(2)
秋の夜長の”児童文学”
いわゆる「児童文学」という風に括られるものが好きです。

ものすごくたくさん読んでるわけではないけれども
その方面に全然明るくない…というほどでもないんじゃないかな、と思っている。

よく読んだのは高校生のとき。
読書のスロースターターだった私には
高校生で児童文学というのが、ちょうど身の丈だったのだと思う。


よく言われることだけれど
児童文学って、必ずしも子ども向けってわけじゃない。

著者は、読者として主に子どもを想定して書いているにしても
よいものは誰が読んでもよい…というのは当たり前のことで
「子どもの本だから」って手に取らないとしたら
もったいないことだなーと、心から思う。

だいたい、児童文学っていうジャンルの呼称もよくないのかも知れないな。
読者が限定されちゃって。

もちろん、子どもも読めるけど、大人が読んでも唸る本はいっぱいあるし。


一方で
絵本でも、もっと文章量の多い本でも
世の中には、安直なものもいっぱいあって
そういう本は、子どもにもすぐ分かるのか、何度も手に取ることはない。


本屋さんの、回転する本棚に並べてあるディズニーアニメのダイジェスト絵本や、
昔話の結末を都合よく改変している、コドモダマシみたいな絵本は
やっぱり1回読んでお終いなんだよね。


気になるのは
大人にはあんまり人気がなさげだけれど
子どもには絶大な人気を誇っているシリーズ。

私自身は読んだことないんだけど、
たとえば「怪傑ゾロリシリーズ」とか「ズッコケシリーズ」なんかは
実のところ、どうなのだろう?


私には、なんか
ズラ~リと数十冊並んでいる時点で
著者は子どもたちに向けて、何を伝えたいんだろう?って考えてしまう。

必ずしも、そんな大げさな、立派なテーマみたいなものがなくちゃいけないとは思っていない。
うまくいえないけど、「ほら、こんなにおもしろい話なんだよ!」っていう
書き手の熱意みたいなものがあれば、それでヨシとも思う。

子どもはおもしろい話が好きだし。
活字に触れてくれるだけで嬉しい、という気持ちもあるし。

でも、あんなにズラリと並んじゃうと、
ホントかいな?みたいな気持ちになっちゃうんだなぁ。


手元において、長く付き合っていきたいなと思わされる本って
読み終わったときに何かが残る。

それは、読んで得した!っていう類のモノじゃなくて
その後の自分の人生に、何らかの形で知らず知らず沁みこんでいくような
そんなもの。


ただただおもしろいって子どもが夢中になっている本を否定はしたくないけど

読み終わったときに
ただ、ものがたりの中をあれこれ見物しただけで、手ぶらで戻ってくる…っていうものじゃなく
入ったときとは別の自分をどこかに感じつつ戻ってこられるような
別の扉が開いて、新しい世界に拓かれているのを感じられるような
そんな本に出会ってほしいな。



整理したばっかりの本棚を眺めつつ、古い岩波少年文庫の背表紙を見ながら、
今日はぼんやりとそんなことを考えました。

秋の夜長、”児童文学”の世界を楽しみたい気持ち。

布団の中で、毛布に包まって 
『思い出のマーニー』とか、『ジョコンダ婦人の肖像』とか、『エミールと探偵たち』とか読みたい。

考えるだけでワクワクしちゃう。
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by happanappamama | 2010-10-26 22:39 | ほん | Comments(2)
サリンジャーからもらったもの
この間、サリンジャーが亡くなった。

ネットのニュースで知って、
「とうとう死んでしまった」と思った。


『ライ麦畑でつかまえて』と一緒に紹介されることが多いし
きっと代表作と言えるものなのかもしれないけど
私は『ライ麦…』よりも、別の中編、短編のほうを
より好んで読んだ。

何度も何度も読んだなぁ。


この人の小説を読んでいると、
信仰を持つことの意味を考えさせられるような気がした。

私が「洗礼を受けようかなぁ」と考えたりしていた時期に
一生懸命読んで、様々な示唆を与えられたし。

結局、私には今もって信仰と呼べるものはないけれど
何かを信じることの大切さというか、あたり前さみたいなものは
いつも考えているように思うなぁ。


サリンジャーの小説には
時々、日本や中国の故事みたいなものが紹介されていて
若い頃はそれがうれしかったりもした。

自分が敬愛する小説家が
東洋の文化に興味を持っているというのが
なんだか誇らしかったのだ。


影響されやすい私は
さっそく唐詩を読んだりするようになった。



おとといくらいの新聞に
白居易の詩が紹介されていた。

新聞に紹介されていたのは

 池に波紋ありて 氷尽(ことごと)く開く  
 今日知らず 誰か計会するを
 春風春水一時に来たる

というの。

春を詠った詩は
冷たい中にも土の匂いのする風を孕んでいるようで
なんだかソワソワするような思いがする。

あたり前だけど
唐詩はもともと中国語なわけで
漢文として読むソレは、リズムも、言葉も独特で美しい。


白居易は唐の詩人なんだけれど
白居易が、実は
サリンジャーの小説にもよく登場する白楽天と同一人物だということを
最近知った。


サリンジャー。

60年代に最後の小説を発表して以来
何も書いていないのか、書いているけど発表しないだけなのか
新しいものは読めない。

そして、とうとう亡くなってしまった。

遺稿があるんじゃないか、と思うけど
変わった人みたいだったので
遺族には「発表するな」と言ってるかも知れないな。


これからも、何度も何度も
サリンジャーの小説は読むだろうケド
是非、まだ未読の小説を読んでみたいものです。
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by happanappamama | 2010-02-05 21:12 | ほん | Comments(0)
真実を話せば、あとは相手の問題
『インナー・トラヴェルズ』という本を読んでます。

たまたまダンボールの底から出てきた
感動した本とかビデオとか音楽なんかを特集した昔の『クロワッサン』で
俳優の児玉清さんが「おもしろい」って言ってるのを見て。

児玉さん、
海外の作品は翻訳が待ちきれず
原書で読んでしまうというくらいの読書家らしく
NHK-BSでやってる「週刊ブックレビュー」の司会をしていたときも
本の知識がとてもある人って感じを受けていたので
読んでみた。


著者のマイクル・クライトンという人はほとんど知らなかった。

ハーバードで文学を専攻したんだけど
文学は自分には向かないと考えて
医学部に転向したものの
医学部が終わる頃には医者の世界に幻滅。

在学中にたまたま書き始めた小説がヒットしたりして
小説を書いたり、映画を監督したり…ってことを
してたんだって。

で、こう、人生が盛り上がってきた30代のはじめころ
何か、自分の人生に釈然としないものを感じて
何年もの間、放浪に旅に出る。

本は、
彼が大学在学中から、放浪の旅を終えるまでの
自分の内なる軌跡を辿るもの。


内容は、
そんなに面白くない。…なんていうと
実もフタもないんだけど
自分を客観的に見るってこういうことか、って
結構おどろいた。

面白くないってことはないな。
興味深いし、そこそこ面白い。かも。

けど、やっぱりアメリカ人ってこともあるし
経験していることや、生活の背景なんかも全然違うからなのか
心の動きや、彼の思いなんかに
共感できるという部分はそんなに多くない。


でも、少しはなれたところから自分を見るっていうことを
繰るページごとに考えさせられる。

私も、今までの自分の思いや行動が
示している本当のところって何なのか、
とても知りたくなってきた。

そして、ソレはものすごく難しそうだ。


このマイクル・クライトンさんは
『ジュラシック・パーク』を書いた人で
『大列車強盗』っていう映画も監督している(原作も)。

多分、私が映画って面白いなーって思い始めた頃の映画で
この映画のポスターとか、よく覚えている。

ショーン・コネリーとレスリー・アン・ダウンが主役で
ドナルド・サザーランドも出てる。


本の中で、
映画撮影中のショーン・コネリーが監督である著者に言うことが
とてもよかった。

監督として、ショーン・コネリーの演技に「なよなよ」したところを感じて
それを、気を使って言い出せなかったときに

「もってまわった言い方をされてもこっちはどうしようもない。きみが何を考えているんだろうかと
 頭を絞らされるだけだ。自分じゃ礼儀正しいつもりかもしれんが、実際にはわかりにくいだけだぞ。
 言いたいことをすらっと言えばいいんだ」

そして

「つねに真実を話さなくちゃならない。なぜなら真実を話せば、あとは相手の問題になる」


言われたことに頭にきたり、それで言った人を悪く思ったりするかもしれないけど
それは自分の側の問題じゃなく、相手の問題だって。

言ったことで、その問題は自分から離れて
相手の問題になるんだって。


ちょっと目から鱗が落ちた気分。



ショーン・コネリー、カッコいいな。
そして、このセリフをちゃんと拾える著者の内側は
やっぱり興味がある。

下巻が残りもう少し。

最後まで読んだら、何が出てくるんだろう。
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by happanappamama | 2010-02-03 21:49 | ほん | Comments(0)
『せいめいのれきし』
ねこじたゴリラ堂
”黄色い絵本フェア”を開催中という記事を読みました。

黄色い絵本といえば、パッと頭に浮かぶのは
『ひとまねこざる』と『せいめいのれきし』


とくに『せいめいのれきし』は大事にしたい絵本。
(『ひとまねこざる』が大事じゃないわけじゃないけどさ)

地球が誕生してから現代までの壮大な歴史が語られる。

科学の絵本ということで言えば、
この絵本が出版された後にも、考古学的な発見はさまざまあったわけで
現在の歴史的認識とは若干ちがっているところもあったりするんだけど
そんなところはまったく関係なく
すごく感動的な本。

まず、大きな時代のくくりごとにページがすすんでいって
現代に近いところまでくるとこの絵本の作者の家族の歴史と重なっていって
最後は、読者がこれから紡いでいくそれぞれの歴史とも重なっていく。


この絵本に出会ったのは、ほぼ大人といっていい年齢になってから。

多分、冬休みの近い土曜日の昼下がり、
江東Yの文庫のカーペットにころがって
かすかに遠くで誰かが話している気配を感じながら、
でも、自分の世界に没入して読んだ記憶がある。

午前中の用事が終わり、夕方から始まるりーダー会までの時間。

そっと一人で読み終わって、
「こんな絵本があったんだー!」って小躍りしたいような気持ちになった。

「ねぇねぇ、ちょっと、この絵本、読まなきゃダメだよ」って
当時のDirに熱く語ったような気がする。


happaにもnappaにも何度も読み聞かせた。
特にhappaはこの絵本が大好きで、
自分でも、いくつも『せいめいのれきし』という絵本を作ってた。

中に「ふるくなったりんごがしぼむように、やまがもりあがりました」みたいな文章があるんだけど
自分の絵本には「りんごがしぼみました」なんて
わかってるのか、わかってないのかわからないみたいな文章を書いていたり。

どこかにとってあるけど、あれ、どこにしまったかなぁ。


しばらく読んでいないけど
この絵本を読むと、なにか、壮大な気持ちになる。

そして、
大昔から連綿と繋がってきた命の鎖の果ての果てに
自分はいるんだなぁという実感みたいなものを
持つことが出来る。


我が家の『せいめいのれきし』は
まだどこかのダンボールに入ったままだけど
見つけ出して、また家族で読みたくなってきた。


歴史ってすごい。歴史っておもしろい。

いろんなことをかんじさせてくれる『せいめいのれきし』


残念ながら、今のところ「ねこじたゴリラ堂」には在庫がないみたいだけれど
たくさんの子どもがこの絵本を読んで
地球が歩んできた大きな時間の中に身をゆだねる感覚を味わって欲しいなぁ。


ほんと、いい絵本です。
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by happanappamama | 2009-12-02 21:43 | ほん | Comments(0)
心に沁みる本が読みたかったので
ここのところ、
私の頭ではなかなかスラスラとは頭に入ってこない本ばかり読んでいたので
少し心に沁みるものが読みたい気持ち。

心に沁みる…といっても
なにか物語じゃない本がいいな。

などなど思いつつダンボールをがそごそ探したら
仏像本が出てきた。

おー。
いいではないか、仏像本。

今夜はしばらく負荷をかけていた頭をのびのびさせよう。

こんど奈良に行ったら…とか
この仏像の作られた時代は…とか
いろいろ想像しながら
仏像の静かな表情に癒されよう。


でも、実はもう眠くなってきちゃったから
2ページくらいしか読めないかもね。
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by happanappamama | 2009-11-10 22:38 | ほん | Comments(0)


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