ひびのあれこれ
by happanappamama
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いまさら、年頭の思い。
普段、あんまり関わるチャンスのないタイプの人と一緒に何かをする機会が
去年一年、わりとあったような気がする。

こんなこと、やる意味あるのかな?と思えるような行事とか
昔からやってるから…という理由だけで、今年もやることを求められる慣習とか
理不尽な言いがかりなんかも無きにしもあらずで
“うーん、しんどい”と思うことも正直あったはずだけれど
いわゆる、普段はまったく別の方を見ているんだなと思える人たちとの交わりは
お互いに切磋琢磨する関係とはまた違う形ではあるけれど
勉強になるな、と思うことがいろいろあった。

それは、反面教師とか、そういうネガティブなものじゃなく
もっと前向きな意味で。

改めて、正論って、いろんな角度から見えるそれぞれの正論があるんだなって思う。
自分の思いとか意見を、自分が大事にするのと同じように、
それぞれの立場から大事にしたい思いがある。

それを、私がどう思おうとも。

そしてその中には、やっぱり学ぶところがあるものなのだ。

仲良しの、気心知れた人たちとの交わりは
なーるほど!って思うこともいっぱいあって、実際、実りも大きい。
ひとつのテーマで語り合うと、テーマが深まっていくし、気づきもたくさんある。
そして、何より心地よいし。

でも、いわゆる、仲良しじゃない、スタイルや畑のまったく違う人と交わってみると
ああ、こういう刺激も大事だなーって思う。

目線の違う人と一緒にいると、コンチクショウ!って思うことも多々あるし
はぁーって大げさにため息をつきたくなることもある。

しかし。
だからこそ、自分の考えや行動の意味するところがはっきりわかったり
改めてこれでよかったのだ、と納得したりもする。

年が年だけに、自分のスタイルや方向は、もうある程度固まっている。

まったく違う目線でガツンと一発食らわされても
自分を深く省みて、じゃあ別のスタイルで行きます…という風には
もうならないだろう。

だから安心して、一発食らわされることができるんじゃないかなぁって
なんとなく考えた、この年初。

そして、その一発を食らうことで、自分の厚みを増していくってことも
あるんじゃないかな。

井の中の蛙ではツマラナイし、一人よがりなんて、もっと嫌だし。
内輪受けは、息抜きだけでいい。


今年はいままで付き合いたくない!って思ってた人とも
あえて、ちょっと交わってみようかなって思います。

いろんな意見の中で、どうすりゃいいの?って思うとき
やっぱり自分のスタイルに返りさえすればいいんだから、
気が楽だ。


それを俯瞰で見て、おもしろがれる境地に達したのだと思えば
私も成長したじゃん!って楽しくなるというものさ。




さあ、これから5時間目の見学に行ってこよう。
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by happanappamama | 2011-02-17 13:05 | つれづれ | Comments(4)
ちょっと思ったこと。
最近、洋服を買っていないなぁ。

買い物って、目的もなく行くときはかなり楽しいんだけど
何か目指して行くとすごく消耗するタチ。

子どもの発表会で着る、とか
入学・卒業式の為に、とか
”洋服を買おう!”と思って出かけると
とにかくクタクタ。

何かのついでに、たまたま見つけた服を”いいな”と思って買うのが
一番自分に向いてるスタンスだと思う。

けど、何かのついでに洋服を見る…ということも
めっきりチャンスが少なくなり
ホントに、少ない手札をヘビーローテーションな状態だ。

雑誌を見ることもほとんどないし、
街角で素敵な人を見つけて、あんな風に
…と思うようなおしゃれな人の集まる街にはご無沙汰しているし、
洋服が欲しいなぁという気持ちも
年々薄れる。

たまに見かける、雑誌やテレビに映る人の服が、
なんかとてもチャラチャラした魅力の無いものに見えたりして
どうも、おばさん街道まっしぐらなコンニチ。


でも、
キャンプに行ったり、山に登ったりするために
あるいは、子どもたちのキャンプや旅行の準備の為に
アウトドア用品を扱う店に行くと
そこにあるアウトドアなウェアには、機能美を感じる。


そうでなければならない形、そうでなければならない素材。
色でさえ、役割を果たしていたり。

決して安いものではないけれど、
体を守る機能を備えている、けれどもカラフルな服たちを見ていると
ファストファッションがとても薄っぺらに見えてしまう。


まあ、成長期の子どもを持つ親としては
ユニクロなんかはとても有り難いお店ではあるんだけれども。


たまに御茶ノ水あたりに出かけると、アウトドアウエアを見るのが楽しい。

”山ガール”なんて銘打ってあるコーディネイトには
苦笑してしまうけど。
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by happanappamama | 2011-02-12 20:48 | つれづれ | Comments(2)
目を向けてしまったからには
11月の半ばに、たまたまペット関連の仕事が重なった。
そのうちのひとつが、ペット業界の闇をフォーカスするもので。

AERAで犬の殺処分問題を連載していた記者の方が
『犬を殺すのは誰か』という本を出版したという記事を新聞で読んで
読んでみなくちゃと思っていたのだけど
たまたま取材に行くことになったペット関連のフォーラムで
その著者が講演をするという。

いままで断片として、なんとなく聞きかじっていたことと、
その講演とフォーラムを通じて初めて耳にしたいろいろを
改めて全体として捉えなおすと
私も微力ながら何かしなければ、という思いが激しく湧き上がってきた。

いまこうして私がのほほんと生きている間にも
抵抗することなく、理不尽に殺されていくたくさんの命。


犬や猫が、”処分”されているということは知っていた。
でも、どこかで仕方ないもののようにも思っていたし、
ペットを捨てる人のモラルの問題のようにも考えていた。

ペットを捨てるな!って言ってみたところで
ペットを捨てる人の意識を変えることなんて出来ないだろうって。

そして、そこから目を背けてきた。
知ろうとしなった。

目を向けるのが辛いから、
そんな問題は存在しないかのように、見ないようにして生きてきたのだ。

気持ちは応援しているつもりでいたし、
殺処分がなくなればいいと思っていたけど
そんな気持ちだけじゃ何にもならない。

まず、その気持ちと、ペットを取り巻く理不尽な状況を
私の言葉で、誰かに伝える努力をしなければ。

フォーラムでお話を伺ってから
自分なりに、本を読んだり調べたりしてその問題に首を突っ込み始めると
仕方が無いなんて考えはとんでもないことだったって思う。
賛同する人をたくさん増やせば、打つ手はあるのだ。


日本では年間30万頭近い犬猫が殺されているという。
他の愛玩動物も含めれば、もっと恐ろしい数になるだろう。

しかも殺され方は安楽死ではなく窒息死。
試しに息を止めてみた。苦しくて、涙が出る。

何をされるのかという恐怖の中で、苦しみながら殺されるのだ。


その一方でどんどん犬猫を出荷しているブリーダーたち。

繁殖を担わされる母犬や母猫は1年に何度も出産させられ、
それを何年も繰り返して
産めなくなると”処分”されるべく、各地の保護センターのようなところに持ち込まれる。
(このブログで紹介されている子のような子がたくさんいるのだ)

今後、その子にかかるだろう餌代などの費用を考えると
商売の道具にしている業者からすれば、当然のことなのだ。
不良在庫以外の何ものでもないのだ。

一匹ずつガラスケースに入れて、たくさんの人目にさらすような販売形態や
夜の歌舞伎町に屋台で売りに来て
心構えの無い人や酔客にまで売りつける様なことが平気で行われているのは
日本以外の国ではほとんど無いことらしい。

仔犬や仔猫のほうが”かわいい!”と衝動買いする人が多いために
まだ母親から離せないような幼い子も出荷される。

母親や兄弟から、
本来必要な社会化をするための関わりを持つことが出来ないまま出荷されるために、
”躾がうまくいかない”と捨てられることも多々あると聞く。

日本にはそういう業者を規制する法律がないために
どこまでもペット業者の利益が優先される。


ペットショップなるのものは、
きちんとペット関連の法律が整備されている国では成り立たないという。

たとえばペット関連の法律が厳しいドイツでは、犬猫の殺処分はないそうだ。
ペット業者も経営が成り立たないため存在しないらしい。

犬や猫が欲しい人は、シェルターで保護されている子を引き取って育てる。
仔犬じゃなくちゃダメとか、純血種でなければというこだわりもあまりなく、
年を取った犬や猫もたくさんもらわれていくそうだ。



世の中にはたくさん問題がある。
考えなくちゃならないことは、ペットの問題に限らず
人権の問題も、福祉の問題も、教育の問題も、あまたある。

ペットの問題だって、犬猫以外はどうなのか。
畜産動物は?

考えていけば、問題は芋づる式に出てくる。


でも、自分が首をつっこむことのできるものは限られている。
それなら、たまたま自分が目を向けた問題に
どんな形でか、関わっていくことが大事なんじゃないかって
強く思った。



私はたまたまペット関連のフォーラムでこの問題に関心を持ったに過ぎないけど、
これからはどんなことでも
目を向けたことを素通りしないようにしようと思った。

どんなに小さなことでも、何かその問題に貢献する方法があるはずだ。

そして、そんな風に関わっていくことで
誰かが関わっているほかの問題にも、真摯に目を向けることが出来るような気がする。


今、家族としてウチにいる柴犬むーむはペットショップで買った。
悪事の片棒を担いだようで、どこか心苦しい。

もちろん、むーむと出会えたことは神様に感謝するのみだし
たまたま出会ってしまって、飼う事になったのだけれど
今度ウチに迎える子は、決してペットショップでは買わない。

今後は生体の売買を主たる業務としているようなペットショップには貢献したくない。


保護センターから捨てられた犬猫(その他小動物)を引き取って、
里親を探している団体がたくさんあることを知った。

私も微力ながら、具体的な形で貢献したい。

ペットに関わる問題の全体像を知っている人は、きっととても少ない。
たくさんの人が知ることで、事態は動くと思う。

犬猫を飼おうと思ったら、ペットショップではなく、保護団体という選択肢もあることを
多くの人に知って欲しい。



日本から、ペットの殺処分がなくなる日が来ますようにと
願わずにはいられない。



FreePetsという団体で 日本のペット関連の法律を改正するための署名を集めています。

 締切が1月31日消印有効で、差し迫っていますが
 家族だけ、自分だけ、署名して郵送でも構わないので
 賛同できると思われる方は、是非協力してください。
 年齢制限も無いので、字の書けない子どもは代筆もOKだそうです。
 HPから署名用紙をダウンロードできます。

 私も、人が集まる場所に出かけるたびに署名を呼びかけて
 先ほど郵送しました。
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by happanappamama | 2011-01-30 00:32 | つれづれ | Comments(0)
忘れ傘
江戸時代の名工と言われた左甚五郎。

実在の人だとばかり思っていたら
実は架空の人らしいということを、今日知った。

印象に残っているのは、知恩院のお堂の軒下で見た
”左甚五郎の忘れ傘”

学生の頃、高校の同級生と4人で一緒に行った京都で
高い軒の下で「あれが左甚五郎の忘れ傘か~」って
みんなで感心しながら見上げた。


左甚五郎と言う名前は聞いたことがあったけど
名工っていうだけで、どういう名工かも知らなかった当時。

でも、その後、いろんな逸話と共にその人の仕事と言われた彫刻などを知り、
忘れ傘の「粋なことをする人だなぁ」っていう印象と結びついて
自分なりに作り上げたイメージがあったんだけど。

そうかぁ、架空の人だったのか。



…となると、知恩院の忘れ傘は誰が置いたものなのだろうか?

誰が置いたものでも
軒下に置かれたまま、何百年も経っているんだってことを考えると
それだけでワクワクする。

それを置いた人の名前として、
「左甚五郎」って、とてもハマってたのにねー。
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by happanappamama | 2011-01-08 22:20 | つれづれ | Comments(3)
時代の音
昨日、『みみをすます』のことをいろいろ考えていたら
なんだかとても夢見心地のような気持ちになった。

わたしの『みみをすます』はnappaのクラスに貸しっぱなしになっているので
手元にはないんだけど、

収録されているいくつかの詩のなかの
思い出すことができるフレーズを頭の中でぐるぐるさせていると
それだけで、
いま、ここに自分がいないような
どこか別の場所に浮遊しているような
不思議な気持ちになる。


子どもの頃から旧跡みたいな所や
古い建物が移築してあったりする場所が好きだった。

子どもの頃よく家族で行った静岡の海の帰りに寄った登呂遺跡。
北海道の開拓の村。
社会科見学で行った加曾利貝塚。
皇居のお堀の向こうの、いくつもの門。
あちこちにある、なんとか城址。壕。


昔、誰かがこの場所にいた、この場所で生活していたっていうことを聞くと
その、同じ場所に立っているというだけで、
そわそわするような、胸がふわふわするような
なんともいえない不思議な高揚感があった。

自分の知らない時代に、確かにそこにいた人がいる。
同じ場所に立つことで、その人の気配を感じるような
その人と何かを共有しているような、そんな気持ちになる。

見も知らないその人の声と、その時代の音が聞こえてくるような、景色が見えるような
不思議な感覚。


『みみをすます』のよさは
一つの側面からだけは語れないけど、
私にとっての魅力の一つは
そんな時の不思議な感じを家にいながら体験することができるところに
あるのかもしれない。


ごくごく易しい言葉で語られることは
ひとつひとつ、とても具体的なことなのに
具体的であるからこそ、その事象を超えて、普遍的な何かに繋がっているような
もっと大きなものに向かって拓かれているような、
そんな感じ。


詩ってすごいなーって改めて思う。

短いフレーズから呼び覚まされ、刺激される
それぞれの人の、それぞれの感性。
頭の中に湧き上がってくる映像。



谷川俊太郎さんの朗読で、一度聞いてみたいな。
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by happanappamama | 2010-10-25 22:01 | つれづれ | Comments(2)
耳を澄ますこと
10月の始めにnappaのクラスで読み聞かせをした。

しばらく、何にしようかなーと考えていたけど
5年生という年齢や、15分という短い時間、
読み聞かせに慣れている子どもばかりじゃないし…とかいろいろ考えると
いくつか候補に挙げていた本は
どうもしっくりこない。

nappaが低学年の頃から
『みみをすます』を読み聞かせで読んでみたいなと思っていたんだけど
連絡帳で担任の先生に伺うと
「詩はちょっと…」という反応だったりして
実現しないでいた。

ウチの二人には
幼稚園に入る前からふとんの中で読んで聞かせていたけれど
二人とも『みみをすます』の中の詩が好きだったし
静かに聞いていたから
教室の読み聞かせでも大丈夫と思ってはいたんだけど。


今回は担任の先生には相談しないで
「コレを読みます」って前日に連絡帳でお知らせした。
 
今年の担任の先生は
相談したとしても、「おもしろいですね!」って乗ってくれそうな気がしていたんだけど
どうしても読みたかったので
万一色よいお返事をいただけなかったときのことを考えて
ゲリラ作戦で行ってみたのだ。


当日、『みみをすます』の中から
「えをかく」と「みみをすます」を読んだ。


読み聞かせに先立って、五感についてちょっとお話して
みんなには目を閉じて聞いてほしいとお願いした。


目からの情報には蓋をして、聞くということに集中することで
かえって豊かな世界が目の前に広がるっていうこともあるっていうことを
感じてほしいなぁと思って。

文字通り、耳を澄ましてほしいなぁと思って。


耳を澄ますことは、実際に聞こえてくる物理的な音だけを聴くこととは違う。
音にならない気配みたいなものを、感じ取ることだ。

そこに集中してほしかった。


目を閉じることで、ふざけちゃう男の子もいるかな?と、ちょっと心配したりもしたけど
子どもたちは思った以上に、静かに聴いてくれていた。


読み終わって、
「なんだかよくわかんな~い」という子もいたし
ところどころ出てくる怖い表現を「グロい」という子もいたけれど
後日先生から子どもたちの感想や反応を伺ったとき

「夢の中にいるような気持ちを味わうことができた子が複数いたようです」

ということを聞き「それそれ!」と感じて嬉しくなった。


私も『みみをすます』を読むと
「いちまんねんまえのあかんぼのあくびに」、「ひゃくまんねんまえのしだのそよぎに」
思いを馳せて、夢見るような気持ちを味わうことができる。


ウチの子どもたちが眠るときに
薄暗い灯りの中で『みみをすます』を聞きたがったのも
きっとそういう心地を味わうことができるからじゃなかったのかなぁ。


美しいものを感じるとき
五感のすべてを使わなくたっていいんじゃないかなって思う。

いくつかの感覚器官を欠くことがあっても
100%味わうことができるんじゃないだろうか。




感じるって、なんて大事なことなんだろ。
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by happanappamama | 2010-10-24 14:47 | つれづれ | Comments(2)
せざるを得ない
自分の言葉の使い方とか、文章力とか、
そういうものは棚に上げて、思うんだけど。

「~せざるを得ない」という言い回しをするとき
夕方のニュースを伝えている安藤優子さんが、
よく「~せざる・オエマセン」と、へんなところで切るのがとても気になる。

そういう切り方をすると、「~せざる 負えない」みたいな感じに聞こえちゃうんだよ。

夕方のニュースは、いつも同じチャンネルを見てるわけじゃないし
ゆっくり座ってるわけでもないから
そんなに一言一句、真剣に聞いてるというわけでもないんだけど

その「~せざる・オエナイ」は、
何か他のことをしていても不思議と耳に入ってきちゃう。


いつも気になっていたのはフジテレビのその方なんだけど
先週末の夜、ニュースみたいなワイドショーみたいな番組を見ていたら
美人の誉れ高い滝川クリステルさんも、「~せざる・おえません!」って言ってた。

そこのとこだけ論って、いろいろ言うのもナンだけど
(…って言うか、他の言い回しが間違っていても判らないかもしれないし)
勝手な自分基準では、ちょっとガッカリしてしまう。


かなり前、オノ・ヨーコさんが対談番組に出演していたとき
他の言葉遣いはとてもきちんとしているのに
会話の合間合間に「やっぱし」って言うのがとても気になった。

あんまりたくさん使うので、途中で「何回言うか、数えてみよう」と思ったほど。

英語でも、
会話の合間に「you know」を多用する人の言葉は
ちょっと内容が薄く聞こえちゃう気がするんだけど
ちょうど、そんな風に「やっぱし」って言ってて
それがために、かなり蓮っ葉な印象を受けてしまった。


言葉って、とても気になる。

日本語の歌詞のついた曲を聴いているときも
「ここ、もう少し推敲できなかったものかな」なんて
(僭越ながら、余計なお世話ながら)考えてしまうこともしばしば。


だからって、
私が正しく美しい言葉を使っているかっていうとそれはまた別の話で、
自分では気づかずに頓珍漢な日本語を使っていたりするんだけど。


まあ、完璧に言葉を使いこなすってことは出来ないだろうし
それもまたつまらないかもしれないけど
なるべく言葉には気を使いたいなって思う。

少なくとも、醜い言葉や汚い言葉は使わないように。


言葉は音楽のように美しく響くこともあれば、刃にもなる。


言葉には、言霊が宿るって言うしね。
よい魂が乗ってくれることを願って。
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by happanappamama | 2010-10-01 22:30 | つれづれ | Comments(2)
『きけ わだつみのこえ』再読
8月15日。

日本にとっては、戦争が終わった日。


お盆のさなか…
先祖の霊が戻ってくるという、日本人にとって特別な期間ということもあるし
もうゼロ戦は飛んでこないという安堵感の中に聞く蝉の声は
終戦を実感させるものじゃなかったろうか。


夏になると、読もうかなと思わされる本に
『きけ わだつみのこえ』がある。

戦没学生の遺稿集。
学生といっても、年齢には幅があって
もう結婚されていた方も、子どもがいた方もいる。

読んでみようと思いつつ日が過ぎて
やっと読んだのはつい2年くらい前だ。

遺書のようなものかと思っていたけど、実はそうではなくて、
家族に宛てた、日々のあれこれをつづった手紙だったり日記だったり。

もちろん、
戦争に駆り出されることに対する疑問や不条理を吐露するものもあるけれど
淡々と毎日を書き綴ったものもある。



その中の宮崎龍夫さん。

happaが毎年参加している野尻学荘のOBだそうだ。

学荘は今年で第75回。
戦争をまたいで行われている、中高生男子だけを対象としたキャンプ(今は小5から)で
宮崎さんも当然その年齢の頃に参加されている。


知ったのは東京Yが発行しているニュースレターでだったように思う。
その後、happaが参加するようになってからネットで検索して
YMCAのHPの「資料室の窓から」で改めて読んだ。


happaが毎年、とても楽しみにしているキャンプ。
中高生という、親の声が届きにくい一種独特な難しい年代にあって、
素直に触発され,感化されて帰ってくる男子オンリーの15日間。


そこにボーイズとして参加していた先輩が戦争で亡くなっているということが
遠い戦争を身近なものにしている。



同じキャンプで
同じように、同世代の少年たちや年上のリーダーたちとふれ合い、
感化され、影響されたであろうその人が
戦争で亡くなっているという事実。


happaはまだこの遺稿集を読んでいないけれど
いつか読まなくちゃいけないと思う。




世界のほかの国々では
必ずしも今日が終戦とはされていないようだし
朝鮮半島では、終戦ではなく、日本の統治から開放されたおめでたい日のようだ。

あの戦争については
国によってさまざまな評価があり
人によって、さまざまな見方がある。

戦地で戦争を見ていた人たちにも、その人たちの見方がある。



私たちに出来るのは、あの戦争の何が間違っていて、大切なのは何なのか
ちゃんと学ぶこと。


終戦の日の今日、自分に出来ることは何か改めて考えて
世界の平和は家族の平和から…

なーんて冗談みたいなことを考えたんだけど
やっぱりソコがとても大事なことだと思います。
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by happanappamama | 2010-08-15 21:35 | つれづれ | Comments(0)
あの夏
日航機墜落事故から25年の今年
数日前から新聞やテレビで関連のニュースを見かける。

あの夏のあの時のことは
自分のそのときと絡めて覚えている人が多いようだ。

そのとき、自分が何をしていたか。

あの時、物心つく年齢だった人の多くが
きっと、そんな風にあの事故を記憶してるんじゃないだろうか。

私は、翌日から始まる中高生対象のワークキャンプの先発隊として
前夜のうちに現地入りしようと車で移動している最中だった。

ワゴン車に乗っていたのは、多分5人。
まだ首都高にいるか、中央道にはいったばかりくらいの時間、
ラジオから日航機がレーダーから消えたというニュースが流れていて。

はじめは、レーダーから消える=墜落とは思わなかった。

でもだんだん、これは大変な事故なんだという緊迫感が
ラジオを通じて伝わってきた。

何年かして、たくさんの検証本が出版されて
私自身は、たぶん事故から20年という節目の年あたりに
そのうちのいくつかを読んだ。

ご遺族側の思い、報道する側の視点、日航の内情、本当の事故原因。
補償の問題などで、ご遺族が言われなく非難されることもあったようだ。

いろいろなことが語られる中で
やはり胸を引き裂かれるのはご遺族の思いと、そして亡くなった方々の思いだ。

遺書を残した人の、その落ちていく機内で書かれた文字を見ながら
どんな思いでこれをしたためたのかと考えずにはいられない。

検証本の中で、とても驚いたのは
墜落直後にはかなりの数の生存者がいたということだ。

奇跡的に生還された方へのインタビューの中に
近くでたくさんの子どもの声がした、という談話があった。

その中で、その方が特に覚えているのは
小さい男の子の声で「おかあさーん」と何度も呼ぶ声だったそうだ。

一緒に旅をしていたのか、別だったのか。
どんなにか恐ろしく心細かったろうと思うと、涙が止まらない。

生存者の中に男の子はいなかったのだから、その子はその後息を引き取ったのだろう。

今となっては、
もっと早く墜落現場が特定できていればと言ってみたところで仕方がないけれど
夜だったことも、そのころ御巣鷹山という山の名前を知っているのは
ほとんど地元の人だけという無名の山だったことも
もし、状況が違っていたら…とつい考えてしまう。


25年目の今年、改めて
事故で亡くなった方々のご冥福を心からお祈りします。
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by happanappamama | 2010-08-12 18:12 | つれづれ | Comments(2)
気配
夏は飛ぶように 過ぎていくなぁ。

あっという間に8月も半ば。

今日やっと、まともに蝉時雨を聞いたと思ったら
どことなく風に秋の気配を感じた。



もう、お盆なんだなぁ。

日盛りはジリジリと暑くて
昼下がりは蝉の鳴き声がものすごくて
でも夕方になると、風の中に冷やりとするものが混じっている。

お盆を過ぎると、
気温はあまり変らなくても、空気のそこここに秋の気配が漂う。

時々、あ、と思うくらいの微かな変化。


夏真っ只中にいるようなのに、
ヒタヒタと足音を忍ばせて秋が潜んでいるような
旧盆の周辺って、とてもいい。



どこかで
これ以上はない哀しみと繋がっている、日本の夏。


いろんなところに、いろんな気配がある。
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by happanappamama | 2010-08-10 22:06 | つれづれ | Comments(0)


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