ひびのあれこれ
by happanappamama
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本日の頭の中は…
当たり前だけど、頭の中にはいろんなことがあって、
同時進行でいろんなことを考える。

いやいや、その段階では、まだ考えている…っていうほどじゃなく
ただ漠然と感じているということかな。

気になってることがいっぱいあるときは
どれも断片的にパッと浮かんでは消えていくんだけど
大事にしたいとおもうことの周辺には、いろんな方角からその断片がやってきて
濾されるようにしてエッセンスが残っていくような気がする。

濃度の高いエッセンスが残ると
それを培養するように、いろいろと考えていくのかもしれない。


nappaちゃんがキャンプから帰ってきた。
happaはキャンプ中。


子どもたちが、何かしら経験を重ねているときに
いつもどうしても考えてしまうのは、
それが彼らにとってどういうことかっていうことだ。

私はどうして、彼らをキャンプに出すのかなぁ。

それは誰かがいつか言っていたように、実りの少ない投資なのだろうか?
じゃあ、実りって?

それは、この間のねこじたゴリラ堂での会話に繋がっていくし
今日見た映画で感じた圧倒的な山の姿にも繋がっていく。


大事なことは、そのものズバリだけじゃなくて
一見関係のなさそうな、種種雑多なものが絡み合って結実していく。

ように思う。


結実するまで、自分の頭の中身と付き合っていければいいんだけど
必ずしもそうはならないのが、困ったところ。



今日の頭の中は、ゴッタゴタです。
どうにかこうにか導いていきたい、と切実に希望します。
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by happanappamama | 2010-08-08 23:50 | つれづれ
お陰さまで
子どもの頃、周りの大人たち…特にお年寄りたちが
「お陰さまで」と言うのを聞いていて
ちょっとピンと来なかった。

…というより、お陰さまってどういうこと?
誰の、何のお陰なの?って
ちょっと腑に落ちない感があった。いつも。

もっと言っちゃえば、嘘っぽいっていう気持ちもあったかも。
ホントかよ。誰かのお陰じゃないでしょ?って。



周りのお年寄りたちがみんな
いつもいつも、本当に何かの「お陰」と感謝していたかどうかわからないけど。

単に枕詞的に使っている人がいたかもしれないけど。

でも、その「お陰さまで」って言うときの板に付いた感じとか、
何か、目に見えないものに向かって微笑んでるような物言いを聞いていて
もしかしてこの人たちは、何か知っているのかも?
私にはまだ理解できない、到達できない世界にいるのかも?
なんてことも感じていた。

今、思えば。心のどこかで。


最近、この「お陰さま」って言葉を
とても近くに感じることができるようになってきた、と思う。

改めて考えれば、人の人生なんて「お陰さま」そのものだ。


私が自分で獲得したっていう気になっていたことも
改めて考えれば、戴いたものばかり。

自分が何かに傾けてきた努力は否定しないけど
それは私が一人で努力したから出来たことではなかった。

そういう事象の一つ一つが、
周りの人やモノや環境との関係なしにはあり得なかった。

…ということを、このごろ漠然と考える。

うまく言えないけれど、そんな漠然とした思いを一言で表現すれば
それは、やっぱり「お陰さまで」っていう言葉がいちばんぴったりくる気がする。

そんな風に考えると「お陰さま」ってとてもいい言葉だ。



お陰さまっていう言葉、いつごろから使われているんだろう。
今よりもっと「お陰さま」って考えることが当たり前だった時代があったかも知れないな。

自分の意思だけではどうにもならない
周りの状況に翻弄されるばかりの人生を歩かなくちゃならない時代があっただろうな。

今だって、ホントはきっと同じ。

どうやって生きていたって、
自分の人生に反映されるのは自分の意思だけじゃない。

でも、今は
自分ひとりでどしどしやれる気分にさせてくれる時代だってことかもしれない。

そんなこんなを考えつつ
我の強い私は、「私が、私が」って意識もモチロン同時にあるけれど、
若かった時の自分より、今のほうが
「お陰さま」がわかるようになったかも、と思います。



お陰さまで今日も元気に一日終わります。



これから、もっと「お陰さま」って言葉、大事にしていこう。
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by happanappamama | 2010-07-09 23:24 | つれづれ
歩き続けること
友だちの、久しぶりに投稿された日記を読んでいて
すごくあたたかい気持ちになった。


彼女の息子氏の誕生日に際して
生まれた日のこと、それに続くさまざまなことを思い出しながら
目指すものに向かって歩き出した彼に
エールを送っている。


ヤツはでっかくなって
そして、いいヤツになったって。


美しい人なのに、べらんめぇで
そこが彼女の魅力なんだけど
その文章もまた、ぶっきらぼうであったかい。


温かな気持ちにさせられるって、いいことだ。

日々のつれづれを日記に記す人が増えて
それを読むことができて
そこから何かをもらうことが出来る。


彼女も言っていたけど
子育て20年って、思ったよりずっと短い。

いつもいつも、子どもの”いま”のことで精一杯で
毎日、毎年、そんなことを繰り返しているうちに
わが子はあっという間に大きくなってしまった。

積み重ねてきた日々は決して短いものじゃなかったけど
漠然と想像していたような、果てしなく続く時間ではなかった。


初めて、わが子の肌着を洗濯して、
パンパンと広げて干したあの日を思い出す。

産んでしばらく実家にお世話になっていたけど
そのころは、いま思えば、お母さんになったという実感が
あんまりなかったかもしれない。

自宅に戻って、
息子の身の回りのことを一手に引き受けるようになって
パンパンと、小さな小さな肌着をハンガーにかけたとき
初めて、リアルな実感として
「私がこの人を育てていくんだな」っていうことをかみ締めた。


夫を単なるスポンサーと思っていたわけじゃないけど
自分が主担当という気持ちでいっぱいだった。



友だちの日記を読んでいて
遠いその日のことを、ありありと思い出した。

私の、一人目の子育ては
もうそろそろ尻尾に近づいている。


もう一人の子育ては道半ば。
幸いなことに。


私自身が善いものを獲得しなければ。
私が私の人生をしっかり歩まなければ。

子育てが終わった後に
抜け殻のようになってしまう自分を想像して、少なからず怖い気持ちがあったけど
立ち止まらずに、自分の歩みを続けていけばいいんだと気づいた。

40代も後半に突入しているけど
まだまだ成長するつもりで気合を入れていこう。
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by happanappamama | 2010-06-23 23:24 | つれづれ
雫の「カントリー・ロード」
夕べ、湯船に浸かりながら
一人で高らかに歌ってしまった「カントリー・ロード」

ジブリの『耳をすませば』に登場する
日本語の歌詞のカントリー・ロードが好きだ。




ひとりぼっち 怖れずに 生きようと夢見てた
さみしさ押し込めて 強い自分を守っていこう
カントリーロード この道 ずっと行けば
あの町に続いてる 気がする
カントリー・ロード

歩きつかれ 佇むと 浮かんでくるふる里の町
丘を巻く坂の道 そんな僕を叱っている
カントリーロード この道 ずっと行けば
あの町に続いてる 気がする
カントリー・ロード

どんな挫けそうな時だって けして涙は見せないで
心なしか歩調が速くなっていく
思い出消すため

カントリー・ロード この道 ふる里へ続いても
僕は行かないさ 行けないカントリー・ロード

カントリ・ロード 明日はいつもの僕さ
帰りたい 帰れない さよなら カントリー・ロード






主人公、雫(しずく)の素直な歌い方がとても清々しい。

変な抑揚をつけずに、まっすぐに歌うからかな。
バイオリンの伴奏がまた、とてもいい。

途中からチェロとかタンバリンン?なんかも加わって
演奏も歌もとても楽しげで。


『耳すませば』の主人公たちは、中学生。
日々、その年齢なりの悩みを抱えて生きている。

自分が中学生のころを思い返すと、なんだか痛々しい。

天真爛漫に無邪気に、楽しくて楽しくて楽しかった小学生の時ほど子どもじゃなくて
自分というものを知り始めて、
だからこそじわじわと楽しくなってきた高校生のようには大人じゃなくて、
なんだか、こう、ただひたすらに毎日が連続しているだけだったような
中学生のとき。

自分自身のことがよくわからない居心地の悪さ。

この映画を見ていると、
そんな自分の中学生のころをなつかしく思い出す。

毎日それなりにワイワイ楽しくやっていながら、
今思えばちっとも楽しくなかったし、
一番思い出が少ないみたいな中学時代なんだけど
あの時代に、クツクツと、何かが発酵するように膨らんでいたんだろうなっていうことが
今振り返るとわかる。

無駄なこといろいろやってきたから、そこをちゃんと通り過ぎたから
今がある。

そう考えると、中学生って子どもじゃないんだな。

お母さんの目で見ると、
本当に、正真正銘の子どもでいてくれる時期って、なんて短いんだろうって
ため息が出てしまう。

happaはそんな時期を抜けて、もう高校生。
nappaはいつのまにか小学校高学年。
子離れの準備を、ちゃんとしておかなくちゃいけないな。
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by happanappamama | 2010-06-15 23:33 | つれづれ
『はやぶさ』とライカ犬
昨日の夜、小惑星探査機「はやぶさ」に関するつぶやきが
あちこちから聞こえた。

これまでも時々、伝えられていた「はやぶさ」の消息。
探査する惑星に、正式に名づけられた「イトカワ」という日本人の名前。
最後に、こんな風に消えてなくなってしまうとは思っていなかった。

昨日、久しぶりに、突然聞こえてきた「はやぶさ」の名前と大気圏突入時の映像。
いろんな思いをこめて、ただただだまってじっと見た。



映像を見ながら同時に頭に浮かんできたのは
スプートニクに乗って宇宙に行ったライカ犬のこと。


私が生まれる10年くらい前に、宇宙船に乗せられて宇宙に行った犬がいることは
何かの折に食卓の話題に上り
まだ子どもだった私は、その犬の運命を思って大きく心が振れた。

猫を飼っていた私は、動物が死ぬ…ということを殊の外恐れているところがあって
ときどき
「江戸時代に生きていた犬や猫は、今はもう死んでいないのだ」なんていうことを考えて
暗い気持ちになったりした。

たまに、まだチャカチャカ動いていた昔のニュース映像に犬なんか映っていると
「この犬はもう死んじゃったよね?」などとわざわざ確認しては
どんより沈んだのを覚えている。

お盆の迎え火に飛び込んできた蛾を見て、大声を上げたこともあった。

そのころの私には、人間の死はまだとても遠くて、
もっぱら自分より小さな者の死を
近くにある恐れとして感じていたみたいだ。

私のまわりにいる大人たちは、いつまでも私の傍にいて
ずっと私を守ってくれると思っていたのかもしれない。
 


大人になって見た『マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ』というスウェーデンの映画。

そこに登場する少年が、やはりライカ犬のことを折に触れて考える様子を見て
とても懐かしい気持ちがした。

あんまり好きで、日比谷の映画館に3回も見に行ったくらい。



スプートニクに乗ったライカ犬が、ひとり宇宙船の中で何を思っていたのか。

それは、私にとっては
「地球は青かった」と言ったガガーリンよりも
「わたしはカモメ」と言ったテレシコワよりも
実際にそのニュース映像を見たはずの、アポロ月面着陸よりも
強く、強く、胸に残る。


スプートニクのライカ犬は
地球に帰還するときに、宇宙船と共に燃えてしまったのだと思ってきたけど
大人になってから、実は打ち上げ後まもなく亡くなったらしいことを聞いた。


7年もの旅を終えて、使命を果たして帰還した「はやぶさ」の映像を見て
単に宇宙船が燃えているとは思えなかった。


心がシンとする。




燃えてなくなっていくものに、こうして感情移入してしまうのは
なにか、刹那的という気もするけれど
ライカ犬に対して感じたような気持ちを、どうしても持ってしまうなあ。


本人の窺い知らないところで、とてつもなく大きな仕事がなされようとしている。
ライカ犬も「はやぶさ」も、自分の生を生きるのみだ。




「はやぶさ」が持ち帰ってくれたカプセルには
イトカワの砂が入っているんだろうか?

もし入っているとすれば、それは地球にはもう求められない
太陽系が出来上がったころの痕跡を残すものだそうだ。
私たちがどこからやってきたのか、どうしてここに存在しているのかを知る
鍵になるかもしれないほど重要な痕跡なのだって。



使命を終えた「はやぶさ」
スプートニクに乗せられたライカ犬。




宇宙は大きすぎる。
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by happanappamama | 2010-06-14 10:33 | つれづれ
向こう三軒、両隣り
今日、八ヶ町の運動会。

初めて町会の子ども会の一人としてお手伝いをした。


地元町会の中でいくつかに分かれている班のひとつで
今年は班長さんにされてしまった(?)ので
お務めがいろいろある。


正直言って、町会のお手伝いは面倒くさい。

なんとか大会があったり、町内一斉清掃などというものがあったり
また~?って言いたくなっちゃうくらい何かがある。


でも、一方で。
こういうことに一生懸命になってくれてる人がいることって
いいな、とも思う。


昔みたいな、向こう三軒両隣風の関係が希薄になっている今
そういう近所の人とのつながりみたいなものは
誰かがそれをしつこいほどに、手を変え品を変え提案してくれるのでなければ
消えていく一方だという気がする。

人を巻き込んでいくことって、エネルギーが要る。
そこを厭わずに奔走するのは
ただ、出たがりのオジサンってだけでは出来ないことだ。


私自身は
是非、適度にお付き合い…などと
多少消極的に考えてもしまうのは確かなんだけれど
そういう人たちが、前ほど面倒くさくない。



やっぱり私も下町のムスメ(年齢はどうあれ)だったってことかな。
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by happanappamama | 2010-05-09 22:28 | つれづれ
キライな言葉
メモに使っている手帳をパラパラ見ていたら
去年の9月のある日
nappaが突然言ったことが書いてあった。


なにか、唐突に。
前後にそれらしき会話があったわけじゃなく。


「あのね、世界で一番キライなことばは”ぬかよろこび”!」



きっと、そのころヌカヨロコビ体験があったんだろう。
可笑しくて笑ってしまったのを覚えてる。


笑ってるうちにnappaは遊びに行ってしまって
周辺の話は聞かなかったんだけど。


今、そのことばが嫌いな理由を聞いたら、覚えてるかな?


メモしておいて、よかった!
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by happanappamama | 2010-04-29 14:36 | つれづれ
今日のわざをなしおえて
近くの区民館で開かれる会合に出席しなければならず
夕飯の支度だけして慌しく家を出て。

夕方から出かけて、9時ごろ帰宅した。


湿気を含んだ生暖かい夜気の中自転車を走らせていたんだけど
なぜかものすごく静か。


何か考え事をしていたのかもしれないな。
しばらく音を感じなくて、下町とは言え東京の町中とは思えないほど。

どこかから土の匂いがたっだよって来て
頭の中に、『遠き山に日は落ちて』が流れてきた。


この歌、大好きなんだ。
1番も好きだけど、2番が特に好きで。


「 闇にも燃えしかがり火は
  ほのお今はしずまりて
  眠れやすく憩えよと
  誘うごとく消え行けば
  安き御手に守られて
  いざや楽し夢を見ん  」


子どもの頃毎年行ってた山中湖のキャンプを思い出す。

キャンプファイアが始まる頃は
まだ山の端に明るさの残る宵の入り口。

ファイアが始まるのは
空がまだぼんやりと見える時間なんだけれど
いつの間にかどんどん闇が深くなって
見えるのは、
炎と、炎を囲んだみんなの顔と、
炎に照らされて妙にくっきり見える頭上の葉っぱと、
背後に黙って黒々と立っている木だけ。


炎の明るさと、闇の暗さのコントラストが
子ども心に強烈だった。


闇のどこかにキャビンがあって
自分の寝床はそこにあるはずだけど
ほんとかな?そこに帰れるかな?っていう微かな不安と
炎に照らされて明るい場所にいることの安心感。

高々と上がっていた炎が小さくなって
そろそろお開きの時間、というときに
いつも決まってこの歌を歌った。

ザワザワとさざめきながらキャビンに戻って
パジャマに着替えたり、歯磨きをしに外へ出たり。

そのころはそんなこと、考えもしなかったけど
「安き御手に守られて」いることを
無意識の中に感じている時間だったような気がする。

昼間、太陽の下にいるときとは全くの別世界で
夜の闇と静けさを、そこはかとない不安と確かな安心感を
肌で感じた時間だった。


文語調の歌詞は「むずかしい」とされて
いろんな歌の歌詞が簡単なものに改変されているけど
文語のいいところは、
意味を深く考えない分、無意識の領域に深く刷り込まれて
モノゴトの繋がりを理解し始める年齢になったある日
啓示を受けるように腑に落ちることだ。


遠き山に日は落ちて、を歌うと
あの闇の世界がありありと蘇って
キャンプ場の、ちょっと湿った布団の匂いさえ
懐かしく、あたたかく思い起こされる。

時間って不思議。

今の私と、山中湖のキャビンにいた私と
同時に存在しているみたい。

隔てるものが何もない。




何か、あたたかいものがこみ上げてきます。
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by happanappamama | 2010-04-28 23:33 | つれづれ
ちょっと前。

散歩していて妙に心惹かれる建物があって。

オールコンクリート造りで、しかもものすご~く古い。
窓枠も鉄だったような気がするな。

事務所に使っている風で、
2階の窓からちょっとだけ見える中の風景は
どこにでもある雑然としたロッカーとか、コート掛けとか、そんな風。


今風の建物とは違って
コンクリート打ちっぱなし、って感じのおしゃれなものではなく
もっと古ぼけて、ヒビも入り放題みたいな。

でもなんとはなしの風情があり
どこかの古い診療所みたいな、そんな雰囲気で。

電気は点いていたけど、人の気配を感じなかった。


その建物が見つからない。
その後、その建物があったと思しきあたりを
何度か通っているんだけど
なぜか遭遇しないんだなぁ。

今日もそのあたりを歩いたんだけど、やっぱり見つけられなかった。


幻だった?なんて思ってしまう。


結構たくさん歩いて、むー子も疲れたみたいだったので
持参したお茶を飲みながら公園で休憩していたら

幼稚園帰りのお母さんたちが数名、
子どもを遊ばせながらおしゃべりしている。

どうも、その場にいないママの陰口っぽい。
「ったく、あのママ、信じられない!」
「こないだもさぁ~」
みたいな感じで、口々に発言していてちょっと嫌~な気持ちになり
むー子を連れて早々に退散。


しばらく歩いていると、
向こうから車椅子に乗ったおばあさんと、車椅子を押している夫がやってきた。

夫婦でお散歩。微笑ましい光景、と思いきや
二人は罵り合っていた。

どういういきさつかは全くわからない。もちろん。

でも、なんだか哀しい光景だったな。



今日はなんだか嫌だなぁと思いながら歩いていて
でも、気づいた。

こんな日は、私の気持ちも、どこか波立っているのだ。

自分が心穏やかなときは、こんな光景ばかりに遭遇しないような気がする。

幸せな気分でいるときは
微笑ましい光景に出会って、さらに幸せになったりするのに
気持ちがざわついているとき、さらに気持ちをザラザラさせるものに出会ってしまう。


類は友を呼ぶ。
私が出会う光景は、私の内側を映す鏡かも。



自分の気持ちって、大事だな。
どんなときも前向きに生きていくなんて、とても出来ないけど
出来る範囲で穏やかに過ごしていこう。


ここのとこ、あまりいい心持ちじゃなかった。

あの、コンクリの建物に出会えないのも、そのせいだったりして。
…なんて思ったり。


気持ちを入れ替えて、また探してみよう。
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by happanappamama | 2010-04-21 16:16 | つれづれ
深みを覗く
今日は
深いところを覗き見た気がしたものがいくつかあった。

今まで知っているような気がしていたものが
まるで違って見えることがある。

知っていると思っていたのは錯覚だった、って思うようなことが時々あるけど
そんな風に気づくことはとても幸せなことだ。


すこ~しドアを開けて覗いてみたら
その向こうに見たことも、想像したこともない世界が広がっているとしたら
そんなドアをたくさん見つければ
自分の世界が無限に大きくなっていくじゃないか!


そんなびっくりがどんどんやってくればいいのにな。



もう少し、先を覗いてみよう。
もっと深いところを見てみよう。

そんな風に思うことに出会うと、ものすごく楽しい。

夜風は冷たいけど、今夜はいいぞ!
頭の中にびっくりマークが点灯したような気持ち。
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by happanappamama | 2010-03-30 23:54 | つれづれ


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