ひびのあれこれ
by happanappamama
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秋の夜長の”児童文学”
いわゆる「児童文学」という風に括られるものが好きです。

ものすごくたくさん読んでるわけではないけれども
その方面に全然明るくない…というほどでもないんじゃないかな、と思っている。

よく読んだのは高校生のとき。
読書のスロースターターだった私には
高校生で児童文学というのが、ちょうど身の丈だったのだと思う。


よく言われることだけれど
児童文学って、必ずしも子ども向けってわけじゃない。

著者は、読者として主に子どもを想定して書いているにしても
よいものは誰が読んでもよい…というのは当たり前のことで
「子どもの本だから」って手に取らないとしたら
もったいないことだなーと、心から思う。

だいたい、児童文学っていうジャンルの呼称もよくないのかも知れないな。
読者が限定されちゃって。

もちろん、子どもも読めるけど、大人が読んでも唸る本はいっぱいあるし。


一方で
絵本でも、もっと文章量の多い本でも
世の中には、安直なものもいっぱいあって
そういう本は、子どもにもすぐ分かるのか、何度も手に取ることはない。


本屋さんの、回転する本棚に並べてあるディズニーアニメのダイジェスト絵本や、
昔話の結末を都合よく改変している、コドモダマシみたいな絵本は
やっぱり1回読んでお終いなんだよね。


気になるのは
大人にはあんまり人気がなさげだけれど
子どもには絶大な人気を誇っているシリーズ。

私自身は読んだことないんだけど、
たとえば「怪傑ゾロリシリーズ」とか「ズッコケシリーズ」なんかは
実のところ、どうなのだろう?


私には、なんか
ズラ~リと数十冊並んでいる時点で
著者は子どもたちに向けて、何を伝えたいんだろう?って考えてしまう。

必ずしも、そんな大げさな、立派なテーマみたいなものがなくちゃいけないとは思っていない。
うまくいえないけど、「ほら、こんなにおもしろい話なんだよ!」っていう
書き手の熱意みたいなものがあれば、それでヨシとも思う。

子どもはおもしろい話が好きだし。
活字に触れてくれるだけで嬉しい、という気持ちもあるし。

でも、あんなにズラリと並んじゃうと、
ホントかいな?みたいな気持ちになっちゃうんだなぁ。


手元において、長く付き合っていきたいなと思わされる本って
読み終わったときに何かが残る。

それは、読んで得した!っていう類のモノじゃなくて
その後の自分の人生に、何らかの形で知らず知らず沁みこんでいくような
そんなもの。


ただただおもしろいって子どもが夢中になっている本を否定はしたくないけど

読み終わったときに
ただ、ものがたりの中をあれこれ見物しただけで、手ぶらで戻ってくる…っていうものじゃなく
入ったときとは別の自分をどこかに感じつつ戻ってこられるような
別の扉が開いて、新しい世界に拓かれているのを感じられるような
そんな本に出会ってほしいな。



整理したばっかりの本棚を眺めつつ、古い岩波少年文庫の背表紙を見ながら、
今日はぼんやりとそんなことを考えました。

秋の夜長、”児童文学”の世界を楽しみたい気持ち。

布団の中で、毛布に包まって 
『思い出のマーニー』とか、『ジョコンダ婦人の肖像』とか、『エミールと探偵たち』とか読みたい。

考えるだけでワクワクしちゃう。
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by happanappamama | 2010-10-26 22:39 | ほん | Comments(2)
時代の音
昨日、『みみをすます』のことをいろいろ考えていたら
なんだかとても夢見心地のような気持ちになった。

わたしの『みみをすます』はnappaのクラスに貸しっぱなしになっているので
手元にはないんだけど、

収録されているいくつかの詩のなかの
思い出すことができるフレーズを頭の中でぐるぐるさせていると
それだけで、
いま、ここに自分がいないような
どこか別の場所に浮遊しているような
不思議な気持ちになる。


子どもの頃から旧跡みたいな所や
古い建物が移築してあったりする場所が好きだった。

子どもの頃よく家族で行った静岡の海の帰りに寄った登呂遺跡。
北海道の開拓の村。
社会科見学で行った加曾利貝塚。
皇居のお堀の向こうの、いくつもの門。
あちこちにある、なんとか城址。壕。


昔、誰かがこの場所にいた、この場所で生活していたっていうことを聞くと
その、同じ場所に立っているというだけで、
そわそわするような、胸がふわふわするような
なんともいえない不思議な高揚感があった。

自分の知らない時代に、確かにそこにいた人がいる。
同じ場所に立つことで、その人の気配を感じるような
その人と何かを共有しているような、そんな気持ちになる。

見も知らないその人の声と、その時代の音が聞こえてくるような、景色が見えるような
不思議な感覚。


『みみをすます』のよさは
一つの側面からだけは語れないけど、
私にとっての魅力の一つは
そんな時の不思議な感じを家にいながら体験することができるところに
あるのかもしれない。


ごくごく易しい言葉で語られることは
ひとつひとつ、とても具体的なことなのに
具体的であるからこそ、その事象を超えて、普遍的な何かに繋がっているような
もっと大きなものに向かって拓かれているような、
そんな感じ。


詩ってすごいなーって改めて思う。

短いフレーズから呼び覚まされ、刺激される
それぞれの人の、それぞれの感性。
頭の中に湧き上がってくる映像。



谷川俊太郎さんの朗読で、一度聞いてみたいな。
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by happanappamama | 2010-10-25 22:01 | つれづれ | Comments(2)
耳を澄ますこと
10月の始めにnappaのクラスで読み聞かせをした。

しばらく、何にしようかなーと考えていたけど
5年生という年齢や、15分という短い時間、
読み聞かせに慣れている子どもばかりじゃないし…とかいろいろ考えると
いくつか候補に挙げていた本は
どうもしっくりこない。

nappaが低学年の頃から
『みみをすます』を読み聞かせで読んでみたいなと思っていたんだけど
連絡帳で担任の先生に伺うと
「詩はちょっと…」という反応だったりして
実現しないでいた。

ウチの二人には
幼稚園に入る前からふとんの中で読んで聞かせていたけれど
二人とも『みみをすます』の中の詩が好きだったし
静かに聞いていたから
教室の読み聞かせでも大丈夫と思ってはいたんだけど。


今回は担任の先生には相談しないで
「コレを読みます」って前日に連絡帳でお知らせした。
 
今年の担任の先生は
相談したとしても、「おもしろいですね!」って乗ってくれそうな気がしていたんだけど
どうしても読みたかったので
万一色よいお返事をいただけなかったときのことを考えて
ゲリラ作戦で行ってみたのだ。


当日、『みみをすます』の中から
「えをかく」と「みみをすます」を読んだ。


読み聞かせに先立って、五感についてちょっとお話して
みんなには目を閉じて聞いてほしいとお願いした。


目からの情報には蓋をして、聞くということに集中することで
かえって豊かな世界が目の前に広がるっていうこともあるっていうことを
感じてほしいなぁと思って。

文字通り、耳を澄ましてほしいなぁと思って。


耳を澄ますことは、実際に聞こえてくる物理的な音だけを聴くこととは違う。
音にならない気配みたいなものを、感じ取ることだ。

そこに集中してほしかった。


目を閉じることで、ふざけちゃう男の子もいるかな?と、ちょっと心配したりもしたけど
子どもたちは思った以上に、静かに聴いてくれていた。


読み終わって、
「なんだかよくわかんな~い」という子もいたし
ところどころ出てくる怖い表現を「グロい」という子もいたけれど
後日先生から子どもたちの感想や反応を伺ったとき

「夢の中にいるような気持ちを味わうことができた子が複数いたようです」

ということを聞き「それそれ!」と感じて嬉しくなった。


私も『みみをすます』を読むと
「いちまんねんまえのあかんぼのあくびに」、「ひゃくまんねんまえのしだのそよぎに」
思いを馳せて、夢見るような気持ちを味わうことができる。


ウチの子どもたちが眠るときに
薄暗い灯りの中で『みみをすます』を聞きたがったのも
きっとそういう心地を味わうことができるからじゃなかったのかなぁ。


美しいものを感じるとき
五感のすべてを使わなくたっていいんじゃないかなって思う。

いくつかの感覚器官を欠くことがあっても
100%味わうことができるんじゃないだろうか。




感じるって、なんて大事なことなんだろ。
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by happanappamama | 2010-10-24 14:47 | つれづれ | Comments(2)
パッパちゃんの生まれた日
今日はパパ氏のお誕生日。

家族でささやかにお祝い。


幸い、日中はパパ氏が外出していたので
その間にいろいろ支度してスタンバイ。

焼肉大好きなので、ケーキだけ用意して食べに行こうかと思ったら
子どもたちは、誕生日は家でやりたいという。

そうかー。
じゃあ、普段よりいいお肉を買ってきて屋上で焼こう!ということになった。


あれやこれや、思い思いにおしゃべりしながら
笑って、食べて。
笑って、笑って、食べて、笑った。


いつもは療法食しか食べさせてもらえないむー子も
今日はお相伴に預かって、少~し(いっぱい?)お肉を食べた。


お腹一杯になっちゃったので
ケーキを食べるまでのしばしの時間、パパ氏とhappaはtsutayaに出かけ
私とnappaは火をいじりながら歌を歌ったり。


夜の闇の中、湿った空気の中に漂うnappaの歌声は、
いつまでもいつまでも聴いていたいほど心地よい。

熾き火をつつきながら、
あー、この時間がいつまでも続けばいいなぁーと思っていたら
nappaも同じようなことを言っていて。

以心伝心。


男子チームが帰宅したので
ケーキを囲んでHappy Birthdayを歌い、
nappaが作ってくれたケーキをいただいた。

今日のはチョコレートクリームのデコレーション。

おいしかった!


パパ氏もとにかく幸せそうなお誕生日でした。
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by happanappamama | 2010-10-10 22:04 | にっき | Comments(10)
初心者登山
いつものように、それぞれが思い思いにしたいことをして、
のんびりゆったり過ごした今回の夏のキャンプだったんだけど、

久しぶりに家族で山に登った。
いつもの4人+1匹で。


キャンプ場の近くに山があったら、登りたいなぁと思っていたんだけど
調べたら「陣馬形山」という山が。

標高1445㍍。
だけど、登山口からの標高差は700㍍くらいみたい。


キャンプ場でもらったハイキングマップには”初心者で片道2時間”とあったので
気楽に出かけた。

ふらりと、っていう風に。


ところが、この山、結構キツかった!

片道2時間というのはガセネタで、実際には4時間近くかかった上
道もあんまり巻いてなくて、急斜面をドシドシ登る感じ。

頂上まで車でも行けるんだけど
何度もその、なだらかに巻いている車道を横切って登る。

ハイキングマップにある、最初の目印までは割りとすんなり着いた。
地図で見ると、そこは全工程の1/3位の場所。

次のポイントは樹齢600年というブナの木で、そこまで行けば2/3。

あら、楽勝じゃない。とか思いながら登る。



でも、最初のポイントまでの距離を考えるとそろそろかな?というくらい歩いた
…のに、ブナの木がいっこうに現れない。

nappaは弱音を吐きまくりだし、
「もうすぐブナの木だよ~、もうすぐ!」となだめながら登っても
まったくブナの木が現れないので、
だんだん「もうすぐ」という言葉に信憑性がなくなってきて…。


簡単ハイキングマップの落とし穴だった。
もっとちゃんとした地図じゃなくちゃ、ダメなんだな。

実は最初のポイントは全然1/3じゃなく、距離感が滅茶苦茶なアバウトマップ。


なんとかブナの木にたどり着き、
そこから更に気合を入れて頂上を踏んだけど

頂上で、車で来たという年配のご夫婦に聞いたら
「初心者で片道3時間半って書いてありましたよ」とのこと。


「車で登るのも大変だったのに、よく頑張ったわね~」と褒めてもらい
nappaはたちまち疲れも飛んで、はしゃいでいたけど。

「あら~、ワンちゃんも~。すごいわね~」と声をかけられたむー子も、
心なしか誇らしげ。


しかし、車で登れる山に、歩いて登る人はあんまりいないのかもね。

そういえば、登山の人に全く会わなかったなぁ。行きも帰りも。
そんな山、はじめてかも。

地元の小中学生が登って頂上付近の無人小屋に泊まったりするらしいから
難しいキケンな山でないことは確か…というか、大した山じゃないんだとは思うんだけど、
私にはハードな部類。

来年、富士山に登りたいって思ってるけど
こりゃ、もうちょっとしっかりした体力づくりが必要だ。


頂上は360度のパノラマで、
景色は楽しめたし、みんなで登って達成感も味わえたし、
むー子も小さな体で、頑張って一緒に登れることがわかったし、
よい登山だった。

nappaが泣きべそかいても、とにかくなだめて頑張らせてよかった。


ただ、どんな山でも気軽に登っちゃいけないな、と改めて思った。

水も、携行食も、服装も、靴も、何もかも気軽過ぎて、とにかく反省。


子どもを連れて行くんだし、どんなキケンがあるかもわからん。
どんなとこでも下調べはちゃんとしなくちゃいけないな。



帰りはどんどん高度を下げるので、急斜面で足腰をガタガタにされて
翌日の筋肉痛が大変だった。

…とはいえ、山登りの後の疲れは、どんなに体が痛くても心地いい。
きっと精神が満足しているからだ。


山に登って、キャンプ場に戻ってきて
焚き火を見つめながら、いろんなことを考えた。



そのとき考えたいろいろは、長くなるので、また後日。
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by happanappamama | 2010-10-09 22:12 | キャンプ | Comments(2)
せざるを得ない
自分の言葉の使い方とか、文章力とか、
そういうものは棚に上げて、思うんだけど。

「~せざるを得ない」という言い回しをするとき
夕方のニュースを伝えている安藤優子さんが、
よく「~せざる・オエマセン」と、へんなところで切るのがとても気になる。

そういう切り方をすると、「~せざる 負えない」みたいな感じに聞こえちゃうんだよ。

夕方のニュースは、いつも同じチャンネルを見てるわけじゃないし
ゆっくり座ってるわけでもないから
そんなに一言一句、真剣に聞いてるというわけでもないんだけど

その「~せざる・オエナイ」は、
何か他のことをしていても不思議と耳に入ってきちゃう。


いつも気になっていたのはフジテレビのその方なんだけど
先週末の夜、ニュースみたいなワイドショーみたいな番組を見ていたら
美人の誉れ高い滝川クリステルさんも、「~せざる・おえません!」って言ってた。

そこのとこだけ論って、いろいろ言うのもナンだけど
(…って言うか、他の言い回しが間違っていても判らないかもしれないし)
勝手な自分基準では、ちょっとガッカリしてしまう。


かなり前、オノ・ヨーコさんが対談番組に出演していたとき
他の言葉遣いはとてもきちんとしているのに
会話の合間合間に「やっぱし」って言うのがとても気になった。

あんまりたくさん使うので、途中で「何回言うか、数えてみよう」と思ったほど。

英語でも、
会話の合間に「you know」を多用する人の言葉は
ちょっと内容が薄く聞こえちゃう気がするんだけど
ちょうど、そんな風に「やっぱし」って言ってて
それがために、かなり蓮っ葉な印象を受けてしまった。


言葉って、とても気になる。

日本語の歌詞のついた曲を聴いているときも
「ここ、もう少し推敲できなかったものかな」なんて
(僭越ながら、余計なお世話ながら)考えてしまうこともしばしば。


だからって、
私が正しく美しい言葉を使っているかっていうとそれはまた別の話で、
自分では気づかずに頓珍漢な日本語を使っていたりするんだけど。


まあ、完璧に言葉を使いこなすってことは出来ないだろうし
それもまたつまらないかもしれないけど
なるべく言葉には気を使いたいなって思う。

少なくとも、醜い言葉や汚い言葉は使わないように。


言葉は音楽のように美しく響くこともあれば、刃にもなる。


言葉には、言霊が宿るって言うしね。
よい魂が乗ってくれることを願って。
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by happanappamama | 2010-10-01 22:30 | つれづれ | Comments(2)


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