ひびのあれこれ
by happanappamama
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ガックリ
すごい思いいれいっぱいの長文の記事をアップしたのに

うっかり違うサイトに飛んだら、消えてしまった!!

跡形もなく!

前にもそれをやって、経験済みなのにー。


今日は、ちょっと立ち直れません~~~
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# by happanappamama | 2012-06-06 11:25 | つれづれ | Comments(0)
運動会と反抗期
日曜日、nappaの運動会だった。


嬉しい、楽しい♪ という小学校までの運動会とは
本人的にもちょっと趣が異なり
「近くで応援しないでね」などという。


家族なんてカンケーなく、私たちは私たちで楽しくやるから、って
そんな雰囲気を一生懸命醸し出そうとしているみたい。

だから、nappaのことは気にせず、
お母さんたちとおしゃべりしながら適当に観戦していたら
帰宅してから「ママー、どこに居たの??」「ちゃんと見てた??」なんて言ってみたり。

「あそこと、あそこと、あそこでちゃんと見てたよ」と言ったら
「え~、見えなかった」だって。


なかなか一筋縄ではいかないお年頃なのだな。
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小学校5年生くらいのとき、一緒にお風呂に入っていたら
「反抗期っていつ来るの?」と言う。

「それは人によって違うんじゃない?どうして?」
「○○ちゃんのお姉ちゃんは、今反抗期なんだって」
「へぇ、そうなんだ」

クラスメイトの女子たちで
反抗期の話題が多かった時期なのだろうな。

反抗期に憧れる気持ちもきっとあって、
少し年上の兄、姉がいる子を中心に”反抗期”がやってきたらしく。

nappaも反抗期に突入したくて仕方ないような
日々の振る舞いだった。

多分、クラスメイトの反抗期も、nappaのそれも
本人には抗いようもなく、自分の内側から突き上げるようにやってくる反抗期ではなくて
「どうも、そろそろ反抗期らしい」という情報と憧れが一緒になって
自主的に迎えた”なんちゃって反抗期”だ。


で、今もってnappaの反抗期はやって来ていない。


今回の運動会のことだって、
「私は中学生」っていう自分の作り上げたイメージで、なんとなく発せられた言葉だろうと思う。

普段の学校公開の時も
「来なくていいよ」ナンテ言っていたって
ホントに行かないと「何で来なかったの??」「明日は来てね!」と詰め寄られるし。

でも、nappaは自意識が強い子だから
遅かれ、本当の反抗期はやって来るんだろう。


反抗期なんて来ないかな、と思っていたhappaだって
やっぱり反抗期はやって来たもんね。

彼のは、でも超短くて、
中2の終わりごろから中3の冬まで…って感じ。


風が吹き抜けるみたいにパーッと通り過ぎたかに見えた反抗期だったけど
もしかしたら、今もビミョウに反抗期なのかな?

メイン反抗期は過ぎたけど、細く長く続いてるのかも。

そんな気もする。


nappaの反抗期はどんなだろう?



ここ数年、運動会と言えば彼女は応援団。
そういうことが、根っから好きなのだ。

それはきっと、目立ちたがりなのに、恥ずかしがり…という
屈折したジジ男の血のなせる業なんじゃないか。

私の系統じゃないぞ、多分。


「応援の練習するから見ないでね!」なんて言いつつ、
わざわざ見えるところで練習をしてたり
先輩が応援合戦で披露するという、なんとか前転を
関係ないのに「あ~、難しい」とか言いながら
「なんか声をかけてよ!」というオーラを出しつつ練習していたりして可笑しい。


いつか、本当にnappaの反抗期がやってきたら
それが過ぎた後、「子育てもほぼ終了だな」って思うんだろうな。

子どもと一緒に育つ時間って、何て早いんだろう。

寂しいような、眩しいような。


私もとっちらかったままでいるわけには行かないから
楽しみに、終い方を考えよう。
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# by happanappamama | 2012-05-29 20:46 | つれづれ | Comments(0)
一瞬、一瞬に
「同じ場面が与えられることは二度とない。
その一瞬一瞬に、人の生きざまは決まるのだ。」
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何の気なしに読んだ文章が、突然、心に残ることってある。



昨日まで読んでた、何度目かの『クライマーズ・ハイ』。

そのフレーズを見てどきんとした。
自分に向けられているような気がして。


そのコトバが発せられた、物語のその場面とは全く関係なく
その時の私に必要な言葉だったから
心に刺さったんだろう。

前に読んだ時は、きっとスルーしてたんだから。




どこまでがどうかと言われれば
明確な答えを持っているわけじゃないけど
いつのころからか、その場限りの刹那的な享楽は「もういいや」と思ってきた。

ずっとそんなものに埋もれて生きてきたとは思っていないけど
その場限り、みたいな時間を生きていた時だって、もちろんある。


でも今は、
日常を細切れに埋めるようなことからは努めて遠ざかりたい。

漠然と、そんな風に思う。

だからって高邁な理想があるわけじゃなく、毎日が淡々と過ぎていくんだけど。




ずっと先に見えるのは
”何事か成し遂げたい”というような大きな目標ではなくて
たぶん、取るに足らない、けれども大事だと思える一瞬一瞬の積み重ねだ。


積み重ねて、その結果何かがあるのではなくて
そのたびごとに、偽らずに積み重ねていくことが重要なんだ。


そうやって生きていけたら、それが私の幸せなんじゃないかと思う。
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# by happanappamama | 2012-05-25 23:47 | つれづれ | Comments(0)
山に行くんだって。
すご~く久しぶりの更新。
久しぶりすぎて投稿の仕方がわかんなくなったりして、混乱してしまった。

でもちょっと書いておきたいな、という気持ちのワクワク。
そういうワクワクはけっこうあるのに
記録しておかないのはもったいない。

もっといろいろ書いておこうと思うのに、つい後回しにしてしまうんだな。
そんなこと、いつも言ってるみたいだけど。

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happaが山に行くらしく。

なんだか人が山に行くという話を聞くと、ソワソワ山が気になる。

私自身はハイキング程度の登山経験しかないシロウトだけど
でも、山に登る人にはものすごく憧れがある。


海か山かを選択するとしたら、私は山だ。

海にいるよりも、山にいる方が気持ちがいい。



夏になると、海に行きたくなるより先に、森の中みたいなところに身を置きたくなる。

私にとって、海は遊びにいくところ。
山は、気持ちが落ち着くところなんだと思う。

とは言え、実はいざ山に登り始めると、最初の30分くらいで必ず後悔する。
「あ~、なんで来ちゃったのかなぁ」
「山登りが楽しいなんて、どうして考えたんだろう?」って。

でも、そんな気持ちにカツを入れつつ頂上に着いてみると
やっぱり気持ちよくて「ヤッホー!」とか言いたい気分にもなり
降りてくる頃には「また、来よう」などと思ってしまうんだなぁ。


…などなど、
人の山行きに触発されて、山の事をあれこれ考える昨日今日。

で、急にヤマ本を読みたくなった。
それなのに、本類の整理をきちんとしていないせいで見当たらず。
山の本、けっこう持ってるはずなのになぁ。


ヤマ本は、自分は行ってないのに、そこにいるような気持ちになれるからいい。

ガイドブックとか、山の写真もいいんだけど
文章で頭に入ってくるほうが、想像の幅が無限なんだもん。


前にも書いたけど、小説では新田次郎の『孤高の人』はすごくよかった。
『剱岳 点の記』も。

そして、井上靖の『氷壁』も。
(この人の本は、ヤマというくくりじゃなくても、とにかく文章が好きなんだけど)


山岳救助関係のルポルタージュもおもしろいのがたくさんあったし
御巣鷹山の日航機墜落事故関連のルポだって、
山という側面から見ると、改めて考えさせられる興味深い本がたくさんあった。



山際淳司の『みんな山が大好きだった』は絶版になっててて、
でもものすごく読みたかったから
偶然ブックオフで見つけたときはすごく嬉しくて、小躍りしながらレジに行ったけど
期待が大きかったからなのか
なんだか内容が散漫で、実はあんまり面白くなかったなぁ。

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happaは今回、山に”連れてってもらう”というスタンス。
いつか”一緒に登る”というところまで到達してほしい。

彼もすごくワクワクして、楽しげに準備などしているけど
抜け作くんゆえに、落ちてるところがたくさんあるに決まっていて不安だ。

彼が行く山はまだ雪がたくさん残っているらしく
とても初心者一人では行けないところ。

一緒に行ってくださる青年が、
よくは知らないながらも「この人なら絶対大丈夫」と思える安心感のある人物なので
今回は心穏やかに送り出せそうだ。

…というよりも、
早く帰ってきて臨場感ある山の話をたくさん聞きたいというのが本音。


いいなぁ~、山。

私もコツコツ、低山を登ろう。
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# by happanappamama | 2012-05-21 12:34 | つれづれ | Comments(0)
自分のために
今朝の恩賜公園は
パッキリと晴れ渡った空に紅葉がきれいだった。

そんなに遠くないのに
最近はあまり行っていなかった恩賜公園。

新大橋通りを挟んで北側は
なんだか雑然としていて、あんまり空気がよくない気がするんだけど
水があって、小山があって、小さな林もある南側は
あまり人もたくさんいないせいか、とても落ち着くいいところ。


すがすがしい場所に行こうと思えば
遠くに行かなくても、すぐ近くに手ごろな場所はあるはずなのに
日々の雑事にまぎれてなかなか動こうとしない。

子どもたちが大きくなって
彼らが小さかった頃に比べたら
格段に自分のためだけに使える時間が増えているのに
”自分だけの為に”気持ちが晴れ晴れするようなことを
してあげていないかもしれなかなぁ。


来年のことを話すと鬼が笑うそうだけど、
来年は自分の時間を充実させる努力をしよう。


そして、地道にブログも書いていきましょう。
気張らずに、つまんないことでも
その時々に感じたことを記録することが大事。

自分のために。
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# by happanappamama | 2011-12-11 11:07 | つれづれ | Comments(4)
捨てる
午前中、物置の片づけをした。

父の会社に置きっぱなしにしていたあれこれを
整理・回収しなくちゃならなくなり。

大きなものではタイヤ。
小さいものでは本、その他。

自転車もある。
若かりし頃買った、プジョーのロードレーサー。

通勤に使ったりしてしばらく乗っていたけど
やっぱりドロップハンドルの自転車は
本気で乗ろうという気が無い人には向かなくて。

長い距離を乗るとお尻も痛くなってくるし
父の事務所にお蔵入りになって久しい。


happaが駅まで通学に使っていた自転車が
もうそろそろダメみたいなので
「乗る?」って聞いたけど
もっと別のタイプのが欲しいみたい。

相当昔ので、決していいものじゃないけど
10万円くらいはした自転車だから捨てちゃうのもなぁ…と思いつつ
やっぱり捨てることになりそうだ。

誰かがもらってくれれば差し上げたいけど
自転車にも流行などあるんだろうなぁ。

タイヤがもうダメだから運ぶのが大変だろうしね。

で、そちらの荷物も大量に捨てたけど
受け入れ側のこっちもそれなりに整理しないと
モノが入らん。

で、細々とあちこち片付けている。


やっぱりモノは少ないに越したことは無い。

捨てられない人だけど
だんだん捨てられるようになってくるものだな。

そして、
捨てた後は清清しい。



ジジ男は仕事でhappaはお出かけ。

片づけがひと段落した頃、nappaが帰宅したので
お昼ごはんはコンビニのいなり寿司とお握りで
一緒に済ました。


もっともっとモノがない空間を手に入れたら
もっともっと気持ちが開放されそうだ。

どこに何があるか、
自分で把握できる量のモノだけで暮らしたい。


買うときは相当吟味して
長く使えるものを選ぶようになったし
相当迷って、結局買わないという選択をすることが増えたにしては
どうしてモノって増えるのかな?って
素朴に疑問に思う。


四の五の言わず、もうヒト頑張りしてこよう。
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# by happanappamama | 2011-12-10 14:43 | つれづれ | Comments(0)
わたしなんて、こんなもん
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この間、お友だちの”ふわこのばあば”さんのブログで読んだ。


「基本的にぼくらはたいしたことない人間なんです」
みたいなことを糸井さんが言ってたそうで。

”その表現がすご~くよくわかるな”と思って読んだんだそうです。

で、同じようなことを福山雅治サンも言っているらしく。


私もうん、うんと頷きつつ読みました。

私もとってもよくわかる。


自分の才能を鬻いで生活している方と比べるのはナンだけど、
私も年を取るに連れて
「ワタシなんて、こんなもん」という思いがどんどん強くなる気がする。

それは諦観とか、開き直りとかそういうのではなく
同時にソコハカとない幸福感も伴うようなもので。


若い頃だって、決して自分に自信満々だったわけではないけど
自分にしか出来ない何か、とか
自分にこそ求められる何か、とか

そういうものに対する欲求や憧れが強かったように思う。

どこかで、自分にしかできない何かが待っていて
自分はそれを成すために生まれてきて
そこへ向かっているんだ、というような
傲慢な思いがどこかにあった。

それは、まったく間違っていたとは言わないけど
私が思っていた壮大な(?)ものと比べれば、
私の生きる意義は、実にささやかなレベルのもの。


そして、「それでヨシ」と思う。

家族だったり、友だちだったり、何かの仲間だったり。

そういう小さいコミュニティの中での「私らしさ」「私の意味」みたいなものを
大事にしていきたいという思いが
どんどん強くなる。

ずっと昔、椎名誠サンのエッセイを読んだ時も
「講演会なんていうものに呼ばれて話をするのは、こっ恥ずかしい」
というようなことを言ってた。

こんな卑小なものが、皆様に何をお話すればいいのかと
身を縮めてしまうって。

自分の身の丈を知っているというのは
快いものだと思う。

自分のことを知っているのは、自分自身のはずなのに
自分については大目に見ちゃったり、
願望が強すぎて、実物よりも立派に見えたりしがちだった。

でも、他の人がどう思うか、ということとは全く関係なく
改めて、自分自身を過小に評価するのでも、過大に評価するのでもなく

「こんなもん」って知ってるのは
自分にとって清清しいことだ。

ここに来るまでに紆余曲折あったのだなぁ、という感慨も含めて
そんな自分が愛おしい。

それは生きていく上での知恵でもあり
そこそこの知恵があったからこそ、受け取ることの出来た思いでもあるような気がする。

そして、そういう自分がここに堂々と存在することが出来るのは
私だけの力じゃないんだよなぁって
改めて思う、土曜の昼下がり。


屋上では、nappaとY子りんとジジ男がビニールプールで遊んでる声が聞こえる。
むー子とはなびに水を掛けまくってる模様。

平和だなぁ。
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# by happanappamama | 2011-09-10 16:09 | つれづれ | Comments(0)
糸井さんの力を借りて。
今日の文章、ちょっと長いです。

面倒くさくても、是非最後まで読んでいただきたいと切望します。

今、環境省が
「動物取扱業の適正化について(案)に対する意見の募集(パブリックコメント)」を
行っています。

パブリックコメントって、
あまり聞きなじみのない言葉かもしれませんが
法改正にあたって、その法律に対する意見を国民が表明する機会です。

動愛法だけでなく、いろいろな法律で
パブリックコメントが行われているそうです。



日本の動物愛護に関する法律はとても古く
今の実態や世論・倫理観に必ずしも敵ったものではありません。

「動物の愛護及び管理に関する法律」(以下・動愛法)という名前に反して
必ずしも愛護の精神に溢れたものではなく。


ペットと呼ばれる動物たちのなかには
劣悪な環境の中で飼育され、一生を子どもを生むためだけに”生かされて”
繁殖能力がなくなれば殺されたり、遺棄されたり、
またはいくばくかの料金を払って行政に引き取ってもらうという子が
少なくありません。

人気の種類は、とにかく繁殖して
衝動買いでもなんでもさせて利益を上げるということが
普通に行われています。
夜中の繁華街でワゴンに乗せて
酔客相手に商売している業者もいるそうです。


全国にたくさんあるペットショップに生後2ヶ月程度の子犬仔猫が
年中展示販売されている裏で
相当数の”売れ残り”や病気・怪我などで売り物にならなくなった子が
処分されています。

一般の飼い主の中にも
「引っ越すから」「吼えるから」
「大きくなって、かわいくなくなったから」という
理由とはいえないような理由で行政に持ち込む人が後を絶ちません。

現行法では
行政は、そういう動物を引き取らざるを得ないそうです。

引き取られたり、捕獲されたりした犬・猫(猫に関しては、ほぼ飼い主の持ち込み)は
保護施設のキャパシティの問題もあり
ほとんどが殺処分されます。

飼い主の持込の場合、翌日処分。
捕獲された犬は自治体によってまちまちですが、長くて1週間程度保護され
飼い主や引取りたいという人が現れなければ処分されるのです。

処分の方法は、安楽死ではなく
ほとんど二酸化炭素ガスによる窒息死。
絶命するまでに時間を要し、若い子ほど苦しむ時間が長いといいます。

殺処分される犬猫は年間で28万頭。
全国で、毎日毎日800頭近くが殺されている計算です。

飼い主がいないというだけで。
捨てたのは人間なのに。


「動愛法」の問題点は様々あると思いますが
今回は、「動物取扱業の適正化について(案)」のパブコメが行われています。

前回の法改正にあたって
やはりパブリックコメントが行われたのですが
パブコメについては知らない国民が多いまま
法改正について熟知している業者側が組織的に動いて
(業者も国民なので、意見を述べる権利はもちろんあります)
50倍もの大差がついて
改正間違いなしと見られた項目が見送られたそうです。

私は是非、多くの人に
このパブコメに参加してほしいと思っています。

…が、パブコメを書くのってややこしい。
まずは法律や法改正にあたっての意見など
目を通さなくちゃいけないものが結構ある。

私はいろんなページを参考にして意見を送りましたが
「動愛法が動物の立場に立つものに変るのは賛成だけど
 難しいし、自分の意見を述べるのはちょっと…」という多くの人に
協力を求めるのは難しいような気がして
会う人にはさりげなくお願いする、程度のことしか出来なかったのですが
最近、いろいろなページでパブコメをいかに簡単に書くか、
が紹介されているのを見て
私もと思って記事にしました。

先日糸井さんの「ほぼ日」でも協力を求める記事が出て
多くの人がアクセスしているみたいで
期待が持てます。

ちばわんでも、簡単にチェックを入れて記名さえすれば送れる提出用紙を
ダウンロードできます。
(メール添付は不可。郵送かFAXで)

私も、「こんなことお願いするのどうかな」なんて思うのをやめにして
是非にと協力を求めます。

パブリックコメントの受付は 8月27日(土)必着。
今回は動物取扱業の適正化についての意見を求められていますが
今後、その他の部分に関しても意見が求められることになると思います。

もし、少しでも関心を持ってくださる人がいたら
27日までにパブコメを送って下さい。

自分の住所氏名を明らかにする必要はありますが
「ほぼ日」からのリンクは
コピペしてメールで送信(必ずメール本文に。添付ファイルはダメです)可能。
「ちばわん」の用紙はプリントアウトしてファックスで意見表明をすることが出来ます。

今度の法改正を逃したら
また何年もそのままの法律が適用され続け、
飼育環境が改善されないまま、何の希望もなく一生を終える動物たちが
いなくなることはありません。


動物の命に関しては
いろんな考えがあると思います。

私も肉を食べるし、魚も食べます。手に吸い付いている蚊は叩きます。

でも、少なくとも
人間が愛玩することを目的に、人間が繁殖させている動物に関して
人間の側の身勝手や都合で
理不尽に殺されることのない社会が来ればいいと思っています。

犬猫が飽和状態なら、殺すことになるのなら
これ以上繁殖させてほしくない。

犬猫にとって
自分が生きるか死ぬかを決めるのが運だけ、という社会より
生まれたその子の一生に誰が責任を持つのかが
明確な社会のほうがいい。と私は思います。


是非、多くの方が協力してくださるよう願います。
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# by happanappamama | 2011-08-20 22:24 | つれづれ | Comments(0)
7月
もう7月が終わってしまうとは。

このひと月あまり、
決断しなくちゃならないこと、考えなくちゃならないことが
次から次へと押し寄せてくるような思いで過ごした。


命について…なんて、軽々しく言えるものではないけれど
まさしく命について、
何かに追い立てられるように
こんなに考えたことはなかったかもしれない。


世の中には
考えなくちゃいけないことはいっぱいある。

でも、
そのそれぞれに、深く関与していくことは難しい。

器用で無い私は
せめて、自分が今目を向けたことに
出来る範囲で力を注いでいこう。

たまたまそこに目を向けたに過ぎないけど
目を向けたからには、知らんぷりして通り過ぎちゃダメ。


なんて、前にも言ったような気がするな。
毎日、おんなじ様なことばかり考えてるからかもしれない。

でも、このひと月考えたいろいろは、
考えてよかったことばかり。


訳知り顔の大人じゃなく
青臭い気持ちで、ここからまた考え続けよう。

あー、いくつになってもこんな風だ。
進歩がないなぁとため息も出てしまう。


ここしばらく、月末しか書いてないような気がするブログ。

今月ひとつも更新してない、って慌ててメモした風だけど
来月は楽しいこともいっぱい書くぞ。
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# by happanappamama | 2011-07-31 22:30 | にっき | Comments(0)
思いの行方
ファンタジーに相当する日本語って何だろう?
とうことが、ちょっと気になった。

御伽噺、かな。


現実には決してありえないだろう、と一般的には思われていることが
物語や映画になって目の前に現れると
そういうことだって、あるに違いないという気持ちに、
簡単にさせられる。

あるに違いないっていうよりは、無いわけがないっていう方が近いかも。

だから、不思議な物語りが好きだ。


私自身、ハタチの年に
とても不思議な思いをしたことがある。


嘘と思われたり、気のせいだよと言われたりするのが嫌で
ほとんど誰にも話していないけど
その記憶は20年以上経って、どんどん臨場感が薄れていく。

鮮明な思い出だったのに、と思うととても悲しい。




昨夜久しぶりに『千と千尋の神隠し』を見た。

初めて見たのはhappaが1年生の時。
赤ちゃんだったnappaをジジ男に預けて、happaと2人で見に行った。

劇場で見ると臨場感が素晴らしくて
知らない世界のそこはかとない怖さと、不思議さで
一気に、この世のすぐ隣りにある妖しい世界に入り込んでしまえる。

happaもそうだったし、happaの同級生たちもそうだったようだけれど
子どもたちにはおしなべて、両親が豚になってしまうシーンが
とにかく恐ろしかったようだ。


happaはその後、ジジ男と2人で再度見に行ったけど
恐ろしかったそのシーンを見なくて済むように
タイミングよくトイレに連れて行ってもらった…という話を昨日聞いた。

そういえば、ジジ男がそんなこと言ってたような。
初めて見るジジ男は、重要なシーンを見逃しちゃってたんだな。



映画の最後に流れる木村弓さんの歌とライヤーの音。
ちょっとセピアみたいな色でバックに映し出される
無人の風景や部屋の中の様子。

何度見ても、
ハクの名前を思い出すシーンからずっと
涙が流れて止まらない。



美しいものを見たり、聞いたりして胸が熱くなるとき
この思いはいったい何だろうって思う。

私が感じているものは、何なのだろうって。

「生きている不思議 死んでゆく不思議 花も風も町もみんな同じ」という歌詞を聞きながら
生きることって、死ぬことって、なんだろう?って
また性懲りもなく考える。


生きているうちに、その人が感じたいろいろは
結局どこへ行くのだろうか。

私が感じていることって、どうなってしまうのだろう?
感じることってどういうことなのか。


思えばすごく若い頃から
感じることについて、繰り返し繰り返し考えてきたように思うけど
何度考えても、
あわせた三面鏡の奥が永遠に続くみたいに
きっと終わりがないものなんだろう。

こういうとき表現者は
音楽だったり、絵だったり、彫刻だったり、踊りだったり…
様々な方法で自分の思いを形にすることができるのだろう。

私もどういう形でか、表現したいと切望する。


それはでも、誰かに見せるためじゃなく
自分で再確認するために。

思いを共有するためじゃなく、伝えるためでもなく、
何かに胸を打たれたときの気持ちを形にできればなぁ。


そうやって、自分の思いをちゃんととっておきたい。

その時のままの気持ちを
あとで好きな時に取り出せたらいいな。


「閉じていく思い出の そのなかにいつも
 忘れたくない ささやきを聞く
 こなごなに砕かれた 鏡の上にも
 新しい景色が 映される」
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# by happanappamama | 2011-06-27 22:20 | つれづれ | Comments(4)


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