ひびのあれこれ
by happanappamama
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開放
いつも前を向いてなんていられない。

自分の日常を振り返って、
落ち込んだり、がっかりしたり、仕方ないとあきらめたり、
でも、これでいいんだと思ったり、よーし頑張ろうと自分を奮いたたせてみたり。

浮いたり沈んだりを繰り返しながらの毎日だ。



毎日を少し離れたところから眺めてみて
ソレが自然なんだって思う。

いろんな顔があって、それが自分だ。

そして、なんでもかんでも前向きでいようとすることの
不自然さと気持ち悪さを思う。

時に後ろ向きといわれる気持ちになったって
それが何だというんだろう。

沈んでいる今があるから、浮かび上がった喜びを実感できる。
前向きでいられるときは気持ちが健康なとき。
健康ではいられないときがあるからこそ、健康なときのありがたさが身にしみる。

弱音を吐いて、弱音を吐く自分を見つめればいい。
それを良しと出来なければ、そこからどうにか道を探っていけばいい。

おしなべて前向き、でいいんじゃないか。

よーし、がんばろうって思える瞬間があれば
それでいいんじゃないだろうか。


などなど、思うこのごろ。

梅雨寒という言葉はどこへやら、
眩しい夏空が、気持ちを拓かせてくれる。


いろんなものから離れて、ポツンとひとりになってみて
その解放感の素晴らしさよ。

この距離感こそ、自分なのかもしれないな。
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# by happanappamama | 2011-06-24 14:28 | つれづれ | Comments(0)
小さなことが
私がご飯をつくること。

本の一節に深く気持ちを揺さぶられること。

みんなで月を眺めること。

nappaが些細なことで大笑い。

犬のむー子がピヨピヨ鳴いて、みんながそれを愛しく思うこと。

ウチのメダカの鉢を見た近所のおばさんが
「生きものっていいですね」って言ってくれること。

ジジ男の親父ギャグと
彼が大事にしているお花畑からひょっこり出てきた、なくなったはずのカマキリの卵。

遠くから聞こえてくるhappaのギター。

みんながおかわりをしてくれる大鍋のシチュー。


日常の、
ひとつひとつは取るに足らない小さなことこそが
毎日を大きく膨らませ、豊かにしている。

どんなものとも取り替えたくない、小さく積み重ねてきた日々。



枯らしてしまったポトスに、新しい葉っぱが出てきた5月の終わり。

そんなことを思ってジンとした。
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# by happanappamama | 2011-05-31 21:24 | つれづれ | Comments(0)
ごちゃごちゃだけど。
あまりにも大きかった地震の後、もうひと月以上何も書いていない。

書いている傍から、
こんな風に考えているんじゃない、とか
なんだか嘘っぽい、とか
こう、うまく自分の思いを文章に出来なくて
書いてはやめ、書いてはやめ、を繰り返してしまう。


被災地の人はもちろんのことだけれど
ほとんど被害のない地域に住む私たちでさえ地震以前と同じではいられない。

この、言葉が出ないほどの大きな災害は
日本という国のありようを、大きく変えてしまったし
もっと言えば、世界のありようさえも変えてしまったと思う。



地震が起こる以前から
「日本は(あるいは、世界は)いま、大きな転換期を迎えている」というようなことを言う人が
たくさんいた。


いわゆる識者と言われる人だけじゃなく、わたしの周りの、ごくごく普通の人でさえも。

このままでいいの?本当に大丈夫なの?という、何か予感のようなもの。


私たちの生活を支えるあらゆることが
実は危ういものだということに、多くの人が気付き始めていたということなのだろう。


そこに、たまたま起きたこの大きな災害によって
危うかった諸々をはっきりと見せられたと感じているのは
きっと私だけではないと思う。


一度手にしてしまったものは手放せない、と私自身思ってきたし
進んでしまった時計の針は戻せないと言う人もいる。


でも。


このまま、まったく方向転換をせずに
まっすぐ突き進んでいくことができるとは思えない。

どちらか一方に大きく舵を切らなければならないのが今だ、という気がする。


地震の前と、同じ思考回路でモノを考えてはダメだって思う。

こうして、小さな自治体の運営を委ねる人を決めるときこそ
そういう視点を忘れずに投票したいって思ったけど
選挙公報で候補者の主張のほんの一部を知ることが出来ただけで
いつものように連呼される名前だけが頭に残る選挙戦だった。

大きく世の中を見なければならない立場の人はなおさら、
いままでのやり方に囚われず、もっと柔軟に知恵を出しあって
それを結実させる努力をしてほしい。



地震以来、自分の考えるどんなことも、
地震と、地震に関わることに繋がってしまう。

でもそれはどれも、地震がなくても考えなければいけないことだった。

あの地震は、私たちに、ちゃんと考えなさいと言っている。

考えることがたくさんありすぎて、ちっとも形にならないけれど
私も少しずつでも外に出していこう。

連日、ごちゃごちゃな頭の中だけれど。
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# by happanappamama | 2011-04-24 23:43 | つれづれ | Comments(5)
なんでもないように見えて。
3月11日の地震発生当時、nappaは公園で遊んでいた。

大きな揺れのあった、その日その時
そばに家族がいなかったということで、とても恐怖を感じたようだった。


ほどなくして、彼女は無事に家に戻ったけれど
それから延々と流されることになる、恐ろしい報道の連続と、時々襲う余震に
一見、普段どおりのnappaであるように見えて
何かに大きく傷ついてしまった感はぬぐえない。

些細なことで涙を見せたり
もともと甘えん坊ではあるけれど、さらに甘えの度を増していたり。

頭が痛いとか、気持ちが悪いと言ってみたり
食欲がないということも
ここしばらくよく口にするようになっている。


大人が真剣な顔でニュースを見つめていたり
新聞にかぶりついているのを肌で感じて不安になっている
…ということも一因だと思う。

震災翌日から、なるべく普段どおりの生活を…と心がけてはきたけれど
やっぱり、まったく普段どおりではいられないし
心のありようは、敏感な子どもにはすぐにキャッチされてしまう程に
ザワザワと波立つ。


そんな震災からの日々、
むー子さんの存在が家族のみんなに慰めを与えている。

大きな揺れが来ると、
目に見えて震えだすむー子さんを
”姉”を自認しているnappaが「大丈夫だよ。みんないるからね」と抱きしめる。

nappaは
自分より小さい者が家にて、
自分は彼女を守ってあげなければいけない立場なんだと自覚することで
しっかりしなくちゃという風に、彼女自身の気持ちを立て直せているように思う。

ご飯をあげたり、遊んであげたり、からかったりして
大変な状況を一緒に生きる小さな家族のために
普段以上に力を注いでいるように見える。


ほかの家族も、
むー子の可笑しな行動を笑ったり、
となりにくっついて眠っているむー子を撫でたりこねくり回したりしながら
彼女の体温に癒されている。

パパ以外の3人は、
うまく説明できないけど、何かにつけてむー子語を話す。

むー子が窓の外を眺めているのを見て 「アタシ、眺めるわ」 とか、
一人で遊んでいるのを見て「アタシ、遊ぶわ」とか、
「むーむはママが大好きなんだよね~」と話しかける私の声を聞いて
「そうでもないわ~」とか。

共通認識としてある「むー子の声音」で好き勝手なセリフを吐くのだ。

それで、家の中がパッと明るくなる。

当のむー子さんは、そんなことには一切関係なく、マイペースに自分の生活を営んでいるけれど。



頭が痛い、気持ちが悪いと訴えるnappaを、2日欠席させた。
こんなときだし、無理に学校に行かせなくても構わないんじゃないかと考えて。

今日は行く、と言って学校へ出かけて行った。


むー子の様子を見たり、
昨日ささやかながら仙台Yに届けるべく送った救援物資のために
自分のお小遣いを差し出したりしながら
気持ちのどこか深いところで、変化があったのじゃないかな、と
オカーサンは思う。

登校禁止・自宅待機のhappaが、いつも以上に構ってくれるのも
きっと、彼女の気持ちを押してくれている。


遠く、被災地の方々に思いを馳せながら
ほとんど目に見える被害のなかった東京の私たちは
やっぱり自分ができることを、できるときに、ちゃんとやれるようにスタンバイしておくことが
大事なことだと思う。


これ以上、被害が大きくならないように。
一人でも多くの人が助かるように。
とても難しいことかもしれないけれど、
被災した方々が一日も早く穏やかな気持ちで生活できる日が来ることを願う。


nappaが学校から帰ってきたら、3人でトランプの「大富豪」をする約束なのだ!
昨日焼いたバナナケーキを食べながら。

今日も一日がんばろう!
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# by happanappamama | 2011-03-18 11:49 | にっき | Comments(0)
仙台YMCAで震災の支援物資を求めています!
<このワイズメンズクラブ主催の支援は一旦締め切られました。ご協力いただいた方、
       ありがとうございました。また支援の要請があった場合には、ぜひご協力ください。>


happaが大変お世話になったリーダーOBのゴリさんが
mixiのY関連のコミュニティに投稿した記事を転載します。

--------------------------------------------------------------------

東京YMCA、西東京センターの井口さんのツイッターより。


仙台YMCAから、物資の要請です。次の宛先に送ってください。

〒949-2112 新潟県妙高市大字関川2253-1
東京YMCA 妙高高原ロッジ ワイズメンズクラブ・東日本大震災支援対策本部


希望物資は、
毛布、魔法瓶、ビニールテープ、軍手、乾電池(単1、単3)、フェルトペン、タオル、石鹸、雨合羽(使い捨て)、
カップラーメン、アルファ米、粥、大根、玉ねぎ、人参、カロリーメイト、乾パン、インスタントカレー、
レトルト食品、各種缶詰、チョコ、キャンディー、マスク、 クラッカー

19日(土)中に到着したものついて、
20日(日)に仙台YMCAに妙高高原ロッジから車で運びこみます。

それ以降のものは後日運びますが、状況から見て早いことが望まれています。

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物資は少量でもかまわないそうです。

仙台YMCAは必要とされているところに確実に物資を届けてくれます。

YMCAはキリスト教を基本理念のベースにしている団体ですが
布教を目的とした団体ではありません。

世界のいろいろな場所で福祉や教育にかかわる活動をしており
キリスト者であるなしに関わらず、その活動に参加したり支援を受けることができます。

日本にも各地にYMCAがあり、お互いのネットワークもあります。


個人で支援するのは、募金以外の部分ではなかなか大変ですが
窓口になってくれるのは信頼できる団体ですので
物資を送りたいけどどうすれば?と考えていた方は
是非ご協力をお願いします。


私も明日、早速お送りしようと思っています。
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# by happanappamama | 2011-03-17 00:38 | にっき | Comments(0)
災害時のtwitter
こんなに大きな地震を体験したのは、生まれて初めてです。


震源近くの方々は、どんなに恐怖だったか。
被災地の映像を見るにつけ、胸が締め付けられる思いです。

早く平穏な時間を取り戻すことができるよう、祈る以外にありません。


東京でも相当な揺れで、私自身も相当な恐怖を感じました。

我が家はテレビが床に落ち、3階の廊下においてあった本棚が20センチくらいズレて
いくつかの本が床に落ちていました。

たまたま自宅にいたhappaと、むー子さんと一緒にテーブルの下に入りましたが
恐怖で何をすることもできませんでした。

テーブルの上のピッチャーが倒れ、
中に入っていたお茶がこぼれて、頭だけテーブルに入れている私の背中に流れ落ちてきて
背中が大幅にぬれてしまったけれど
揺れが収まってからも、しばらく、着替えようという気にさえならず。

地震の最中、nappaはすでに遊びに出かけた後だったので
テーブルの下から逃げようとするむー子をhappaと二人で押さえながら
nappaに電話をして「どこにいるの?」と聞いたら
「今、広場の真ん中に集まってる」とのこと。

「電話を切らないで、そのままにしてね!」と叫んだけれど
無常にも電話は切れ、その後はつながらなくなってしまって。

非常時の携帯の無力さを思い知る結果に。

後で話を聞いたら、
すぐ近くの公園で遊んでいたときに地震が来たので
みんなで「真ん中に集まれ!」って固まって真ん中あたりに集まったら
すぐに小学校の先生が来てくれて
学校の校庭に避難していたとのこと。

近所のKちゃんのママが手を引いて一緒に戻ってくれました。

帰ってきて、私の顔を見たとたん「怖かった」と泣き出して、
子どもにとっては相当の恐怖だったのだろうと思います。


すぐに実家に電話。
このころは、まだ固定電話はつながる状況で、すぐに母と連絡が取れ、
母を通じて父の無事も確認。

ただ、その後も夫とはまったく連絡が取れず。

メールもたまに送信できるけど、届いていないのかまったく返信もなく。


地震直後はまったく気づかなかったけれど
PCを開けてみて初めて、twitterは至極普通に機能していたということを知って。

twitter上で今の状況をつぶやいたり、
安否確認をしあったりしている人がたくさんいて、
とにかくスムーズに機能していた。

そのとき、ああ、こういうときこれは使えるなって強く思いました。


もし夫がアカウントを持っていたら、ひとこと「大丈夫」ってつぶやいてくれるだけで
無事でいることが家族に伝わるんだから。

で、これを機会に
家にいないことが多い夫とhappaには、twitterのアカウントをとるように頼みました。


もし、別の日に地震が起こっていたら。
たとえば、その前日だったら…

その時間、夫は当然仕事、happaは部活で学校、私は用事で渋谷にいて
家に戻ることが困難だったはず。

nappaは学校にいて、きっと先生たちが保護してくれているはずだと思うけれど
もしtwitterの機能を家族がみんな知っていたら
携帯からネットにつなげば、お互いの安否を確認することができるだけじゃなく
会話さえできる。

nappaだって、状況によっては学校のPCからそれを確認することができる。


ネットに繋がる状況でさえあれば、twitterはすごく有効です。

たとえ普段は使わなくたって、アカウントを持っていればいざというとき使える。

こういうとき、携帯が電話としては機能しなくても
ネット端末として使うことができれば安否確認にとても役立ちます。



今回、それを身をもって感じました。
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# by happanappamama | 2011-03-13 10:33 | にっき | Comments(4)
東京大空襲の日に。
3月に入ると、毎年なんとなく10日を意識する。

いつのころからか、ずっとそうだ。
多分、大空襲の翌日がお誕生日だったおじいちゃんが亡くなってから。


今朝、洗濯機を開けたら
誰かのポケットに入ってたティッシュがいっぱいくっついていて。


「もう~、誰~~??」「これから出かけなきゃならないのに!」とか言いながら
一つ一つのシャツやら下着やらにくっついたティッシュを
バサバサ落とす作業に没頭したんだけど

ふと、東京大空襲のことが頭をよぎって
こんなことに「もう!」なんて言いながらカッカしていられるのは
とても幸せなのだ、という思いをかみ締めた。


いろんなところで、いろんな人が言うことだけど
物事のどっち側から見るかによって、同じことがまったく違った意味合いを持つことになる。



東京大空襲は遠い過去の出来事…というよりも
自分にも、どこかで繋がっている恐ろしい出来事という位置づけだ。

東京の下町で生まれ育ったから
家族だったり、近所の人だったり
よく知っている誰かの大空襲にまつわる話を聞いていたし

小学校の社会の授業でも、多分ほかの地域の学校よりは
東京大空襲を丁寧に教えてくれたのではなかっただろうか。


我が家は私の祖父が被災した。
父と祖母は田舎に疎開していて、おじいちゃんが自宅を守っていたのだ。

寡黙だったおじいちゃんは、大空襲について多くは語らなかった。

「空襲のとき、怖かった?」と聞けば
「怖かったよ」と、ニコニコしながら答えてくれたけど
その時どんな風だったか、どんなことを思ったのか、ということはほとんど話さなかった。

何かの折に、断片的に
「空襲のときは、川に死んだ人がたくさん浮かんでいた」
「川に飛び込んだ人は、ほとんど助からなかった」
「東陽小学校のプールにも、人がたくさん飛び込んで亡くなった」
などと話してくれることもあったけど

「それで?それで?」って聞いても、
その後はあまり詳しくは語ってくれなかった。

とにかく、逃げて逃げて逃げて、
このあたり一帯が何もかも焼き尽くされて、もう燃えるものがなくなった後
自宅のあったところに戻ってみたら
石造りの門だけがポツンと残っていて、
「それがなければ、どこが家だかわからなかった」と言っていたというのを
父から聞いたことがある。


私も、もっと直接聞いておきたかった。
でも、思い出して語るのは、おじいちゃんにとっては辛いことだったかも知れない。

関東大震災も、空襲も経験しているおじいちゃん。

私は、かろうじて、直接体験を聞くことが出来た。

当たり前だけど、自分の経験した空襲を伝えられる人は
どんどんいなくなっていく。


私はせめて、子どもたちの曾おじいちゃんが経験したことを
身内が見た光景として、彼らに伝えていかなくちゃと、毎年思う。

機会あるごとに
「ママのおじいちゃんはねぇ」って、おじいちゃんから聞いたことを話しているけど
子どもたちにとって、東京大空襲が”自分には関係のない、遠い過去のこと”にならないようにしたい。


広島、長崎の人が原爆を語るように
東京の下町に住む人は、
東京大空襲を語り継いでいく役目があるんじゃないかと思う。
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# by happanappamama | 2011-03-10 20:54 | Comments(0)
オバサンは思う。
こんなことを言うと、おばさんのヒガミみたいだけど
earth music&ecologyのCMの宮崎あおいチャンが気になって仕方がない。

今オンエアされているCMだけじゃなく
以前のものも含めて、どうもハテナと考えてしまう。

どうも、日本の若い女の子は
”幼いこと”がオンナの魅力と考えすぎていないだろうか?と思う。

うまくいえないけど、
物言いも振舞いも、どうも低年齢を装っている(若作り、とかそういうんじゃなく)風の
若い女性をよく見かけるような気がするんだなぁ。


あのCMに関して言えば
もちろん、そういう演技を要求されているのだろうし
それがブランドイメージなのだろうけど
そんな振る舞いを魅力的と感じる人が多いから、そういう女性像を求める人が多いから
そういうブランドイメージを押すのだろう。

でも、
あれが20代の女性の素の姿だと信じている人がいるだろうか?

妙齢の女性が
小学生の子どものような表情で釣り糸を繰っている姿は
私にはとても不自然に見える。


ナチュラルな雰囲気のブランドっぽいから、素朴さを表現しているのかもしれないけど
なんか、勘違いしていない?って思う。

少なくとも、彼女は大人だし、既婚女性でもあるわけだから。


あのCMに限らず
いいトシをした女性が、舌足らずの口調で話したり
無邪気すぎる振る舞いをしたりするのを目にすることが結構あるけど
決して、それが素の姿じゃないだろう。

頭をグラグラしながら話すんじゃない!って
娘なら、そう言っちゃうな。


人は多かれ少なかれ、自分を装うということはすると思う。

背伸びする姿は、どこか天晴れな感じがするし
がんばれ!って思うんだけど
幼稚に見せる装いって、いったい誰に向けているのかなぁ?


昔、ぶりっ子っていう言葉が流行ったけど
単に”ぶりっ子”っていうのとも、違う感じだしなぁ。


素朴とかナチュラルっていうのがキーワードかしら?
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# by happanappamama | 2011-03-03 23:23 | つれづれ | Comments(2)
毎年、毎年。
nappaたちの学年は、生徒数が80人前後。

で、この時期、毎年クラス替えのあるなしが話題になる。


今のところ、40人学級というのが基準なので
80人なら2クラス、81人なら3クラスになるため
そのあたりの人数をうろうろしているnappaの学年は
今まで毎年クラス替えがあった。


1年生のとき2クラス。
2年生のとき、転校で人数が増えて、通常はしないクラス替えがあって3クラスに。
3年生は通常のクラス替えで、今度は2クラスに。
4年生でまたまた人数が増え、本来ないはずのクラス替えがあって3クラスに。
5年生は通常のクラス替えで、3クラス。

5年生~6年生は、クラスが減るクラス替えはないっていう話だったのに
81名スタートだった生徒数が、3人転校で78人になり
やっぱりクラス替えがありそうだ…という話に。



毎年毎年、クラス替え。

なんとなく、クラスにまとまりが出てきたなーと思ったころに
また解体されてしまって、
どっしり落ち着いて2年を過ごしたことがない。

クラスが深まっていかないうちに、次へバトンタッチ。

これだけクラス替えがあると、
ほとんどの子と、一度は同じクラスになったことがあるから
みんな知り合い!というメリットもある。

けど、毎年、新学期に新クラス・新担任になって
やっぱり心落ち着かない時期を過ごしている彼女たちを見ていると
最後の学年くらい、クラス替えなしで過ごしてもいいんじゃないかなと思う。


みんなのことを、なんとなく知ってはいても
それぞれとじっくり付き合う時間という点では、きっと足りてない。

いいことも、ごたごたも諍いもあって
それが修復されたり、別の問題が出てきたり。

良くも悪しくも、とことん付き合って「あ~、いろいろあった」って思うには
1年は短いように思う。

こんなクラス、もういやだ!って思うにしても
このクラスでよかった!って思うにしても
行くとこまで行くからこそ、”クラス替えで心機一転!”が効いてくるのじゃないかな。

それには2年くらい必要だと思う。



自分のことを振り返ると
クラス替えって、楽しみではあったけど
やっぱり心配のほうが大きかった。

人間関係を一から作っていかなくちゃならないって、結構大変だ。

女の子はちょっとした派閥みたいなものもあったりして
グループ同士の相関図もからんできたり
絡まりだすと面倒くさい。

nappaは幸い、派閥とはあまり関係なく
フーテン風な立ち位置のようなのであまり心配はしていないけど
その年、そのクラスで一番の仲良しと、
クラス替えのたびに別クラスにされてしまうので
新学期の落胆を見ると、なんだかかわいそうだ。



今年のクラスは
一番同じクラスになりたい友だちと分かれてしまっているので
nappaは「クラス替えしたい」と思っているみたいだけど
毎年っていうのもねぇ。


どうなることやら。
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# by happanappamama | 2011-03-02 21:50 | つれづれ | Comments(0)
鏡の奥
件の対談本、おもしろかった!

対談だから読みやすかったけど、実はわからないことがたくさん。


いろんなところに話題が飛んで、
それが全部、ちゃんとつながりのあることだから、
そういう話の広がりがとてもオモシロかったんだけど、

ちゃんと理解したかと問われれば
数学苦手のワタクシには、わからない話題もいろいろあった。


河合先生は、かつて高校で数学の教師をなさっていたらしく
『博士の愛した数式』の著者と、数字の話で盛り上がる。

その辺のオモシロさが、いまひとつわからないんだよ。
残念。


数学っておもしろいんだなと思うようになったのは
数学を、もう勉強しなくてよいことになってからだ。

数学ができないって、実はどこかでコンプレックスでもある。

世間とか、誰かに対して引け目を感じてる…というわけではなく
大事な一部分を勉強せずに来てしまった忘れ物感みたいな。

昔は
数学なんて、基本的な計算さえできれば実生活にカンケーないじゃん!
などと思っていたけど
それは数学を知らないものの浅はかな考えだったんだなー、と思うことが、
年を追うごとに増えた。



何年か前、わかりやすい数学の参考書を見つけてから
時々、その本で勉強している。

”ほー、なるほど”などと感心しつつ
かつて積み上げてこなかった数学の基礎を学ぶことで
抜けていた何かを取り戻すような気持ちになって安心する。


だからって、ちゃんと身についているかといえば、
それはまた、別の話なんだけど。

数学ができる人が語る
数字の美しさみたいなものは、まったくわからない。

美しいんだろう、っていうことは想像できるけど
美しさ、そのものはわからないんだなぁ。

わかりたいけど。


対談本は
数学の話だけじゃなく、宗教の話や、カウンセリングの話、人間そのものの話もあり
とても興味深い。

そして
「じゃあ、もう疲れたからこのへんで。あとはまた次回にしましょう」

なんて対談を終えながら、
その直後に河合先生が倒れて、そのままになってしまったというのが切ない。


河合隼雄さんの本は、どれもとても勉強になる。
知らないことを、知らないままで終わりたくない、という気持ちにさせられる。

この対談本も
ついていけない話題も、もちろんあったけど
扉を開けて待っててくれるみたいな感じが、常にある。

こういう人が自分の先生だったら
私ももっと勉強したのになぁ、なんて思ってしまう。

勉強して、同じ土俵で会話したいって思うだろうな。



その本を読んで終わり、じゃなくて、その先がある本はいい。



子どもの頃
母の三面鏡に顔を挟んで
どこまでもどこまでもどこまでも続く鏡の中の世界を怖々見つめた。


知りたいこと、もっと深く理解したいと思うことを増やしてくれる本って
鏡の奥に踏み込んでいくみたいな、そんな感じと、
どこか似ていなくもないな。
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# by happanappamama | 2011-02-28 22:17 | ほん | Comments(4)


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