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ひびのあれこれ
by happanappamama
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心の中がもやもやするので rev

デイリー新潮のクー&リクの連載を読んだ。


いろいろ思って

XTwitter119.png)に投稿したんだけど

なんだか言い足りず

心の中に渦巻きはじめた言葉たちを吐き出す場がほしくて

コチラにも書きます。



シェアしたのはこの記事




Xには



ここに限らず業者にとって動物は利益を生む"モノ"

動物への愛はないから儲からなければ撤退する。


この業者が最悪なのは当然だけど

それを支えているのは買う人で

買う人がいて、いい商売になるからこういう業者はなくならない。




買う人がいて儲かり続ければ

この業態はなくならないし、

苦しむ動物は存在し続ける。


地獄みたいな劣悪な環境で動物を苦しめ

間接的に動物を殺しているのは私たち消費者でもあるという事を

自覚する必要があると思う。


同じ事を

仲間たちが昔から言い続けているけど

世の中の人の心には響かないのかなぁ。



とコメントを付けて投稿した。



これは単にクーリクだけの問題じゃなく

日本のペット業界全体の問題だ。



こういう事を言うと

嫌悪感をあらわにする人も少なからずいるから

伝えるのが難しいことは実感している。



我が家のむーちゃんはペットショップから来た。


でもむーちゃんのお陰でペット界の闇を知ったから

もうペットショップを利用することはないだろう。



犬猫を迎えるなら

保護犬猫を第一選択にしてほしいと心から思っている。



犬と暮らしたい人の10人に1人が保護犬を迎えれば

保護犬はいなくなる…という試算があるらしいもの。



でも


「保護犬は条件が厳しくて譲渡してもらえないから買うしかない。」

「譲渡する気がないのではないか。」


という人がいっぱいいる。



考えてみてほしい。

里親譲渡の条件が厳しいのは当たり前。


本来お店だって誰にでも売るんじゃなく

厳しい条件で動物を託す人を選ぶ必要があると思う。


だってこれから15年以上生きる可能性がある子犬を

生涯面倒見てもらう必要があるんだから。



でもそうしないのは

「すべての人に動物との幸せな暮らしを楽しんでほしいから」でも

「この子に幸せになってほしいから」でもなく


そんなことをしていたら売り上げが落ちるからに他ならない。



保護団体、活動従事者が条件を厳しくするのは

(私は厳しいとは思わないけど)


いろんな事情で保護団体に戻って来る犬猫は必ずしも少なくないし

何度も家族が変わるのは犬猫にとって大きなストレスになるから。


譲渡する側は

なるべく生涯大きく環境を変えることなく、穏やかな幸せをと願うから。





それは当たり前のことで

その子への愛情と、

その子の今後に対する責任があるからに他ならない。


単に犬とか猫とかモノじゃなくて、

名前のある、他ならぬこの子のためにと思うから。



もしも本当に買わない選択をするのなら

もしも保護犬の里親になろうと思うなら


例え一つ二つ三つの団体や保護活動家に当たってダメと言われても

熱意を示して根気よく探せば譲渡してくれる人や団体はあるはず。


団体や人によって譲渡条件は様々だし

後見人がいればOKという場合もあるし

個人の事情や意欲を汲んでくれる人はいっぱいいる。


だって譲渡すれば、

また新たな子を引き取ってお世話することができるから。


万が一飼養できなくなった際には連絡して下さいと

フォローしてくれるところだってある。



動物愛護センター等から直接引き取れば

団体や個人よりも譲渡してもらえる可能性は高いかもしれない。




それでも譲渡してもらえないなら

「自分は動物と暮らす環境にないのかもしれない」

と一度自身を振り返ってみる必要があるのかもしれないし



あるいは子犬や犬種に拘っているなら

そこを考え直すべきなのかもしれない、と考えてみたらどうだろうか。



子犬は当然、今後の犬生は長いはずだし

介護が必要になるころ、自分が動ける年齢なのかを考えなければならない。

運動量が必要な若い犬や大型犬には体力のいる家族が必要だ。




我が家は50代も終わりの夫婦。


今いる子たちを見送ったら

もう次の子の生涯を引き受けることは難しくなる。

少なくとも子犬を迎えることは絶対できない。


でもその時健康なら預かりボラは出来るかもしれないし

病犬の看取りはできるかも、とも思う。

もう犬とは暮らさないという選択肢もある。





犬と暮らす方法やスタイルはさまざま。



子犬に拘らなければ、

中齢や老齢で里親を探している子もいっぱいいる。



買わない選択をしたら

これ以上使い捨てのように苦しむ動物を生まなくていいし


今家族を求めて里親募集中の子に幸せを分けてあげて

それ以上の幸せを貰うことができる。





毎日毎日

生まれては儚く消えていく命がある。



食事も水も満足に与えられず

自分の尿さえ飲まざるを得ないような環境の中


恐怖の中で交尾させられ、産まされるだけ産まされて、


積もりに積もった糞尿の上で、

粗雑に扱われる流通の過程で

生きる喜びを一瞬たりとも感じることがないまま

命を終える犬猫はたくさんいる。



ペットショップから買う人がいる限り。




売り物にならない命を償却して

経費を差し引いても儲かるから。



業者側からすれば

どんどん生ませるのは「消費者のニーズに応える為」に他ならない。


そうさせているのは消費者なのだ。



「買って幸せにしている人もいる。

 だから買う選択肢は必ずしも問題じゃない。」

という人がいるけど



どこから迎えたとしても

家族になったらできるだけ幸せにしてあげる責任があるのは

当然の事だ。



どこから迎えても

どうかその子を一生慈しんでほしいと思うし、

そうしている人はもちろんいっぱいいる。



私がかつてそうだったように

ペット業界の裏を知らずにペットショップから迎える人は

残念ながらたくさんいるし

そして多くの人はその子と幸せに暮らしていると信じているけど


でもその陰で苦しんでいる親がいることを知って尚

次も買う選択をするかしないかは別の問題だと思う。



その子を一生慈しんで暮らして見送るという当たり前のことを

(当たり前のことです)

仮にみんながしたとしても




買う人がいるかぎり、

そのために繁殖させられる子の

店頭に並ぶ前に亡くなる子の

あるいは売れ残って闇に葬り去られる子の地獄はなくならない。




愛護センターにも

家族を求めている子はいっぱいいる。


いろいろな事情でセンターに捕獲収容、

あるいは持ち込み収容される子は後を絶たず

譲渡対象になることなく、やむを得ず処分される子は

残念ながら今もいる。



譲渡に積極的な地域、そうでない地域

対応はまちまちだけど

センター職員に「なんて可哀想!」「殺処分反対!」と叫ぶ人が

一方で何匹もショップから購入しているなんてことはたくさんある。



繁殖屋の問題と

動物愛護センターに収容される犬猫の問題を


一律に語ることはできないけれど



こういう話題になったとき

「噂では聞いたことあるけど詳しく知らない」っていう声を聞くと



可哀想な姿を見たくない、知りたくない気持ちは想像できるけど


噂を確かめることをせずに見てみぬふりをすることで

苦しむ動物がいるのだということにも

同時に思いを致すべきではないか、と思う。



そう考えたら

多くの人がこの動物業界の闇を知ろうとしないという選択は

なくなるのではないかしら。





…と、勢いでいろんなことを言ったけど

動物と暮らしているならば

動物と暮らしたいと思うならば


二度と苦しむ動物が生まれないような社会を作るために

それぞれが自分のできることを

一つだけでもしようと思えるような世の中になればなぁと

切に願う。



いちばん簡単で

誰でもできる保護活動は


生体販売をしているペットショップからは

”何も”(フードでさえも)買わないことだと思います。



# by happanappamama | 2023-09-09 11:43 | つれづれ
いのちの記憶
今日の日を忘れないために記します。


我が家の大事なむーちゃん。
犬たちのリーダーとして、みんなに一目置かれたむーちゃん。

今日のお昼過ぎに
神さまの元に還って行ってしまいました。

いのちの記憶_f0169643_09012058.jpg


むーちゃんは頭蓋内に骨増殖があり
それが延髄の近く…という深いところで

そばには大事な神経の束がたくさんあるので
徐々に増殖した骨が神経を圧迫して
体に麻痺が現れるらしい…と言うことが分かったのが
昨年末だった。


手術はもともと考えていなかったけど
手術したくてもできない深いところの病変とのこと。

西洋医学的には、
ステロイドで炎症を抑えるというくらいしかやりようがなく
要は対症療法とも言えないような
効くかどうかわからないという治療しか選択肢がなくて。

どういう方法でか
どこまで増殖を抑えることができるのか、できないのか。
という状況。


先生によれば
神経症状が出てきたら、いずれ嚥下も呼吸も出来なくなるかもしれないと。
苦しむかもしれない、とも。


私たちは
できるだけむーちゃんに負担のないやり方で
でも病院が大嫌いで過呼吸になるほどだったむーちゃんが
たくさん病院に行かなくてもいいようなやり方で
むーちゃんに寄り添いたいと思った。



「おかしいな、元気がないな」と思ったのが
昨年の春ごろ。

最初の症状と言えば、
左目だけをシバシバさせて、涙が出る…というくらい。

いのちの記憶_f0169643_09541707.jpg

食事を変えたり、水はけをよくする漢方を使ったりしたら
それがよかったのかどうか、
わりとあっさり涙は出なくなったけど

それでもシバシバは残った。


夏には
「やっぱりどこかヘンだ」と気持ちがザワついたけど
オモテに出てくる数値は全然問題なし。

秋ごろに
右の前足側からずっこけたりするようになり
左側の側頭筋が、突然ごっそり落ち込んで
「むーちゃん、どうして左のこめかみが凹んでるの?」と
nappaが言うほど。

いのちの記憶_f0169643_09535345.jpg


ジジ男は「老化かな」と言っていたし
信頼する先生からも「シニアになればよくあること」と言われたけど

私は違うという確信があって。

いろいろ症状を説明したけれど
でもやっぱり検査をしてもどこもおかしいところはなく
別の病院でも何度か診ていただいたけど
脈も体の反応も「大丈夫、心配ない。夏バテです」というもの。

でもそれは致し方なかった、と思う。



病気がわかったのは昨年末。
かかりつけで撮ったCTの画像から。

頭蓋骨の一部に、通常にはない盛り上がりがあったらしく。

画像を見せていただいた私にはよくわからなかったけど、
先天的なものの可能性もあるそうで。

頭蓋内の左側に病変があるせいで
右側に麻痺が出るのはセオリーらしい。



長い時間をかけて増殖してきたものか、
あるいはここ最近で大きくなってきたのか、
それは定期的にCTを撮って
経時的に見なければわからないと言われたけど

何度もCTなんて撮りたくないし
撮ったところでコレといって手立てがないなら意味がない。
むーちゃんに負担をかけるだけだもの。



病気がわかってから
むーちゃんの麻痺はゆるやかに進んだ。

それでもゴールデンウィークまでは
歩様はゆっくりになったし
直ぐに疲れて歩きたくなくなっちゃうこともあったけど

今までの生活を何一つ変えることなく過ごすことが出来た。
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でもGWの初日、
朝はみんなと一緒に普通にお散歩に行ったのに
夕方には自立できなくなっていて。

私はたまたま仕事で不在。
ジジ男がずっとそばに居たけれど、
いつそうなったのかわからない、と。

でももしかしたら、発作のようなものがあったのかもしれないと思う。

自分では立てず、
もちろん歩くことも出来なくなった。

頭は左にグインと捻じれて
まっすぐ前を向くことも難しくなった。

私は何度
「もう一度、むーちゃんの頭を前に向けてください」って
神さまに頼んだことか。

そうすれば、むーちゃんはもっと楽に過ごせるのに、と。



それでも毎朝
みんなと一緒にカートでお散歩に行って

歩かなくちゃオシッコしないむーちゃんを
私と夫が交代でハーネスと手で支えて形だけでも歩かせて
排泄を促した。

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歩いているように見えるけど、
実は吊って惰性で動かしているだけ、みたいな状態だった。

オシッコ活動は10分のこともあれば、1時間かかることもあったけど
ばんも、カブも、ドラも
みんなむーちゃんがオシッコのために足を動かしているのを見守って

そしてみんな一緒に家に帰る…というのが
朝の日課になった。

とても平和で、みんなで一緒にことを成し遂げるみたいな
ちょっと楽しく誇らしい時間でもあった。

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暑くなる前は
夕方、私が連れ出すむーちゃんのオシッコ活動のために
カブが付き添ってくれて

盛夏は、パパの帰宅を待って
むーちゃんと3人で近くの公園に通うのがルーティン。
(パパが一人で早朝、むーちゃんを抱っこして近所の公園に行くことも)

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そんなこんなの4か月、
私はこの毎日が長く続けばそれでいいと思っていた。

かかりつけの先生も
この子は内臓が丈夫だから、きっと介護は長くなるよと言っていたのに。




昨日から、むーちゃんがごはんを食べなくなった。

つい10日前までは
私が作ったお肉・魚・白米・野菜を煮たむーちゃん仕様のごはんを
朝昼夜と完食してくれていた。

それが、それ以降半分とか、3割とかしか食べなくなり
「口が開かないせいだ」と、始めは思った。

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口が開かなくなったのも
多分、神経症状の一つだろうけれども
がちがちに食いしばって開けるのも一苦労で
ごはんが終わるころには、
私の左手の指が赤く腫れるくらい。

そして頑張って開けても5mm開くか開かないか。

スプーンにすこ~しだけ薄くペーストのごはんを載せて
「このペースでいつか終わるのかな?」と思うくらい何度も口に運ぶ。

それでも口に入れれば
もぐもぐごっくんと完食してくれていたので全然苦にならなかったんだけれど
ついに口に入れても飲み込まなくなって。


思い立って、
一粒が割と大きめで薄い円盤状になったドライフードをあげてみたら
またもぐもぐ食べてくれたので

喜んで朝、昼、夜と
野菜スープでふやかしたドライフードを一粒ずつ口に入れる…
ということをしていたんだけれど

それも一昨日から飲み込まなくなってしまった。

試しにちゅーるとかもあげてみたけど
飲み込む気がない。

開けた口に放り込んだら、そのまま口の中に溜まるだけ。


もう食べたくないんだな、と思ったら
それ以上口に入れるのはイヤだった。

食べてほしいのはヤマヤマ、
だけど、それはむーちゃんの意思に反しているんだな、と。

お水もほとんど飲み込まなくなって
シリンジであげても、そのまま口からこぼれちゃったり。

ここで病院に駆け込んで栄養剤や点滴、
という選択肢もあるのかもしれないけど

私はむーちゃんに任せることがベストと思えた。


頭では否定したい気持ちだったけど
むーちゃんは旅立つ支度をしているんだ、ということを
うすうす感じていたから。


昨日の朝も、
今日の朝も
いつもと変わらず朝のお散歩コースをみんなと一緒にカートで歩いて

もうこの2週間くらいは自力で排泄できなくなって
圧迫排尿に頼っていたので

ムリに歩かせず
むーちゃんとパパが芝生の上でゴロゴロのんびりしている間に

ばん、カブ、ドラと私はもう少し足を伸ばして朝の日課を済ませ
むーちゃんたちのところに戻って一緒に帰った。
いのちの記憶_f0169643_09012834.jpg


一昨日も、昨日も今日も
3頭と少し歩いている間に
むーちゃんはうんちがたくさん出たとのこと。

私が作ったごはんを食べさせていた時は1日1回だったうんちを、
ドライフードを食べさせるようになってから
3回も4回もするようになり

やっぱりドライだとウンチが多いね、
全部ウンチになっちゃうんだね、なんて話していたけど

それも旅立つ準備だったのだろうな、と今は思う。
できるだけ身軽にしたかったのだ、と。



今日はもう、
ごはんをあげなくちゃととか、食べて欲しいとか考えられないほど
むーちゃんは少し荒い呼吸をしていて
胸郭を大きく膨らませたりしぼませたりしていた。

でも不思議と苦しそうではなくて
やっぱり私に「お別れが近いんだよ」と言っているような気がした。


午前中は仕事だったので
運よく午後から出勤のnappaにむーちゃんのそばに居てもらって
お昼に帰宅。

ちゃっちゃとお昼ご飯を食べるあいだも
むーちゃんの胸が上下するのを見ていた。


ご飯を済ませてむーちゃんのそばに行って
そう言えば、オシッコが溜まっていたら苦しいかも、と思って圧迫して出して
それから添い寝するようにして腕に抱くと

やっぱり呼吸は荒かったけど
やがて少し静かな呼吸になって
そして、今まで聞いたことのないような、ちょっと大声で呼ぶような声をあげた。

私は「むーちゃん、むーちゃん!」と呼びながら
体をさすったりなんかしたけれど

その時、むーちゃんは逝ってしまったんだと思う。



実はいつ逝ってしまったのか
厳密にはその瞬間がわからなかった。

でもきっと最後のひと声は
「行くよ!」という声だったんじゃないかなと思う。



今思えば、
朝、パパが散歩に連れて行くために抱っこしたときも
同じ声を出した。

仕事に出かけるパパに、「アタシ、今日行くよ」って言ったのかもしれない。


むーちゃんの頭を腕に抱きながら
「まだ鼻から息が出てる」なんて
生きていると思い込もうとしていたけど

その後、むーちゃんを抱き起したら
さっき圧迫してオシッコを出したばかりなのに
まだ残っていたのをたくさんベッドに出していて


やっぱり逝っちゃったんだ。と思った。



nappaと一緒に泣いて泣いて泣いて、
むーちゃん、パパが帰って来るまで待っててくれなくちゃダメじゃない、
とかなんとか声を張り上げながら泣いて

でもむーちゃんは逝ってしまった。

行くべき場所に。



nappaは

まだむーちゃんが元気だったころに、
「夜中に部屋のドアをカリカリしたのに、
 眠くて入れてあげなくてごめんなさい」
なんて泣きながら謝っていた。

そんなこと、むーちゃんは気にしてないよ。
夜中にむーちゃんをお布団に入れてあげたことだって
いっぱいあったじゃないか。


でも、そんな小さな一つ一つを
むーちゃんと一緒に過ごした出来事として
全部思い出して取っておきたい。




むーちゃんは特別な子。
ばんも、カブも、ドラも、みんな大事な大事なウチの子だけど

むーちゃんだけは特別扱いしてあげていいんじゃないかと思う。


むーちゃんは最初は一人っ子だったのに
その後次々とやってくる預かりっ子たちのことを受け入れて
そしていつも通りにむーちゃんらしく居てくれた。

きっと、誰よりも
一人っ子を満喫したいタイプだったに違いないのに。


そんな暮らしや、
突然我が家にやってくる預かりっ子たちを
どんなふうに見ていただろうか、と
前に一度ACを通して聞いたことがある。

他の記事に書いたことがあるから
それは繰り返さないけど
むーちゃんは理解してくれていた。


むーちゃんがあまりに愛しかったから他の犬も愛しくて、
だから犬の世界の裏側に目を向けることが出来たし
だから預かりボラをやろうとも思えた。

ばんも、カブも、ドラも、
むーちゃんがいたから出会えたし、ウチの子になったのだ。

むーちゃんが私を導いてくれたし、私のガイドであり師匠だった。


むーちゃんと、そしてばん、カブ、ドラのために
犬のごはんや、東洋医学や、マッサージや、あれやこれや学んだのに

でも、肝心のむーちゃんにどこまで生かすことが出来たのか。


難しい、聞いたこともないような病変が現れて

自分が何を学んだのか、
何のために学んだのか、
これからどうしたいのか、

全然わからなくなっちゃって
勉強することがかえって辛かったりした。

気持ちに余裕もなかったし。
自分のせいのような気がしたし。


でもやっぱり
知らずにいたら本質が見えず、
余計なことをいっぱいしてしまったかもしれないな、とも思う。

誰かのせいにして、
「治してもらえなかった」と思ったかもしれない。



むーちゃんは
自立できなくなってからごっそり筋肉が落ちて
驚くほど痩せちゃったけど


最後の数か月、大変お世話になった鍼灸の先生に
「手足も暖かいし、褥瘡もない。
 寝たきりでこの皮膚と毛艶はびっくりです」
と言っていただいた、まだまだツヤツヤふわふわの毛並みのまま

今もまだ寝ているみたいに見えます。


お花と、氷を買ってこなくちゃ。


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お腹が空くと冷蔵庫の扉をカリカリとひっかくむーちゃん。

ソファの背もたれ経由でクレートの屋根に上るのが好きだったむーちゃん。

2階の窓から外を警備するむーちゃん。

ペットボトルをキャップごと齧るのが好きなむーちゃん。

お散歩で一緒に歩く子のウンチに付き合ってくれないむーちゃん。

片脚をあげてオシッコするポーズがすごく可愛くてキマッてるむーちゃん。

売られた喧嘩は倍返しするむーちゃん。

アリンコとか小さい虫が嫌いなむーちゃん。

キャンプに行ってもアリンコに攻撃されないように椅子の上にいるむーちゃん。

2歩でウンチを決める潔いむーちゃん。

子どもたちの友だちが家に来るとみんなと一緒に居たがって、
みんなの真ん中でちやほやされるのが大好きなむーちゃん。

タイタイを弟のように可愛がっていたむーちゃん。

うっかり足を踏んだりすると、思いっきり被害者ヅラするむーちゃん。

病院の待合室で絶叫するむーちゃん。

お風呂も大嫌いで阿鼻叫喚するむーちゃん。

車が大好きで「車で行くよ」というと嬉々として階段を下りてくるむーちゃん。

happaの結婚式で、もう動かない耳を動かしていたむーちゃん。

歩けないむーちゃんも寝たきりのむーちゃんも
オシッコのために力の入らない足で頑張って歩くむーちゃんも、
どんなむーちゃんも大好きだよ!!


むーちゃん、ありがとう!
ウチの子でありがとう!
そばに居てくれてありがとう!




むーちゃんは私の宝でした。
宝の中の宝でした。


ううん、これからも、
未来永劫ずっとずっと宝の中の宝。


いつかまた会える。必ず。










# by happanappamama | 2022-08-23 17:54 | にっき
生命ってすごい。
前回の更新から半年。

早い(笑)



このところ首肩がバリバリで片頭痛が辛い上に
凹むことが続いたりして、

夜は諸々終了したら現実逃避みたいに眠くなる。


ちょっとのお楽しみや、ほっこり気分が温かくなることも
もちろんちょこちょこあるんだけれど

どよんと気分が落ち込むことのボリュームの方が大きいような気がする。


片頭痛は、
貧血のせいで血行がよくないのかも…という気がしているので

なるべく造血できるものを食べるようにしているし
瘀血を解消する漢方薬も飲み始めた。


お散歩で足は動かしている自信があるんだけれど
(血液検査で善玉コレステロール値を毎回褒められるのも、このお陰だと信じている)
考えてみれば上半身をほとんど動かさないので

最近、ゾンビ体操みたいに(野口整体の活元運動的?)
夜寝る前にグネグネ体の要求するままに動かしてみたり。


呼吸も浅いのを自覚しているので
気が付けば深呼吸も。

精神的にグラグラしていると、
呼吸が疎かになっているなーということがなんとなくわかるんだけれども

そういう時、深呼吸することで気持ちが落ち着く。




そんな毎日の寝床のお共には
読んでいてワクワクするような本が必要。

…ということで
しばらく読んでいたのがこの2冊。

生命ってすごい。_f0169643_17312105.jpg

『植物はなぜ薬を作るのか』は
薬学の専門家が書いた本。


なぜ植物が自分の中で薬理成分を作り出すのか
どんな風に作り出すのか
どんな植物のどんな成分が、どんな薬になっているのか…だけじゃなく

野生のチンパンジーが
病気の時には普段食べない薬理成分の強い苦い草の液を飲んで
翌日快復するさまを観察したというこぼれ話的なこととか

東洋と西洋との薬に対する考え方の違いとか
漢方薬の有効性なんかについてもわかりやすく知ることが出来て
とても面白い。




もう一つ
『樹木たちの知られざる生活』は
新聞の書評でその存在を知ったんだけれども

ドイツの森林管理官が書いた本。


木たちが思考し、音を聴く…だけじゃなく
お互いにコミュニケーションを取ったり、助け合ったりする…という
「えー!!」っと驚くような世界を

実例を挙げて解説している、嬉しくなっちゃうような本。

生命ってすごい。_f0169643_17354353.jpg


ずーっと昔にこのブログにも書いたんだけど
(チェックしたら10年以上前だった!)

中学生?高校生?のころ、
日曜日の夜に家族で楽しみに見ていた『知られざる世界』という
ドキュメンタリーのテレビ番組で

「木は地震を予知する」というタイトルの回があった。


どう地震を予知するのかは全然覚えていないんだけど

番組の中で、
木が自分を傷つける人を認識していることを明らかにする実験が紹介されていて

それにものすごく感動したのだ。


以下、リンク。



その時、ワタシが受けた衝撃とかワクワクとか
「やっぱり木って好きよ!」って感じた気もちとかを思い出して

地球ってすごいな。生命って素晴らしいな。って

改めて思った。



その恩恵を、
お互いにとって利益となるように活用させていただくのが
人間がよりよく生きる道なんじゃないかしら。

科学はそのためにこそあるべきなんじゃないかしら。




子どもの頃、

社会だって、科学だって
とにかく世の中は進化し続けるのだと思っていたけど

このごろ、そうじゃないんだということがよくわかる。
(社会だって、成熟に向かっていくとばかり思っていたけど、
 昨今の政治家と、彼らが目指しているらしい社会の像を見ると
 決してそうではないことがよくわかる。)


医学だって、
コロナウィルスに対抗するために
遺伝子に何らかの影響を与えるようなワクチンを作りだすみたいなことを
進化と呼ぶのだろうか。

まだまだよくわからない。



東洋医学とか漢方薬とか
科学的でない、時代遅れの古臭い養生法みたいに考える人もいるけど

生命を痛めない
生きものが本来持っている力を手助けする…という
東洋医学が目指したようなものを突き詰めていくことこそ、
進化と呼べるんじゃないだろうか。


ありのままの生命は素晴らしい。
そこをいかに傷害しないかが大事なんだという気がするし

そんなことを、
この本を読んでいて改めて思った。



人間なんて、エライと思っちゃ大間違い。


人間が与えられた使命があるとすれば
人が、生きものが、よりよく生きるために
地球の営みから学ぶこと。

そのために、与えられた知恵をフル活用することなんじゃないかな。


なーんて(笑)
真面目に語ってしまったが。

でも、私って今どんなことを考えているのかなって
ときどき振り返るのが大事。


どんなふうに生きていくか、ということに
絶対繋がっているはずだもんね。








# by happanappamama | 2021-05-30 17:38 | ほん
大晦日
先日来
テレビで筒美京平さんの楽曲を聴くことが多い。


「あー、この曲もそうなのか」
とか思いながら聴いているんだけれども

子どもの頃に聴いた曲も
おとなになって、しかもこのトシになって聴くと
全然違って聞こえるから不思議だな。


『木綿のハンカチーフ』なんて
耳触りのよい曲だなぁとは思ったけど
特別に好きな曲というわけではなかった。

子どもの頃はよく歌ったような気もするし
でもその頃は、ちょっと湿っぽい曲のように思っていたんだけど(多分)

今聴くと(歌うと)
涙で声がかすれちゃう。


人の気持ち、
誰かに向けられる温かい気持ちは
本当にかけがえのないものだ。




ついこの間、
『クリスマス・カロル』を読んだ。

もう何度も読んでいるんだけど
クリスマスの時期になると読みたくなる。


今年はバタバタし読まなかったので
クリスマスが終わってから読んだのだけれども。



『木綿のハンカチーフ』の
故郷にいる恋人を振ってしまう都会の彼が
スクルージと重なって見えた。

スクルージも若いころ
本来同じものを大事にしていたはずの恋人がいたんだけれど
別のものにもっと高い価値を置くようになったことで
その恋人の存在を大事にできなくなってしまったのだ。


本当に大切なものはなにか。


『木綿のハンカチーフ』の彼も
もっとずっと年を取ってから気づくのではないかしら。

…などと思ったりした。


大晦日_f0169643_23244213.jpg

今日は午後から
明日のお雑煮やらなにやらの支度をしながら

BSで放送していた『マイ・フェア・レディ』を見ていた(聞いていた?)。


これも何度か見た映画だけれど

ヒギンズ教授がイライザに教える”スペインの雨は主に平野に降る”というフレーズ
(The rain in Spain stays mainly in the plane)

昔、はじめてビリイ・ワイルダーの『あなただけ今晩は』を見た時に
同じフレーズが出てきて嬉しくなったのを思い出した。


主人公の警官役のジャック・レモンが
教養ある年配の紳士に変装して、意中の女の子に蘊蓄を述べるときに
「スペインの雨は主に平野に降るんじゃよ」と言うのだ。





取るに足らないことだけど
2020年の大晦日に、そんなことをあれこれ思いました。


今年はいろいろなことがあった。

コロナ禍で大変な年だったし、
今日の東京の感染者は1300人越えだという恐ろしさ。

私自身も自分の健康について考えたし、今も考えている。


ともあれ、
家族にとっては概ね平和な日々の延長線上に2020年の大晦日があって
今年もそんな年を過ごすことが出来てありがとう、と心から思いながら

今年を見送ります。



来年はみんなにとって、穏やかで平和な年となりますように。


ものすごく久しぶりだけど
急に思い立って、今年のうちにこのブログに戻ってきたかった(笑)



つれづれを綴ることが出来て、それも満足な年越しです。



Eテレで放映中の、NHK交響楽団の『第九』を聴きつつ
皆さま、よいお年を。






# by happanappamama | 2020-12-31 23:31 | つれづれ
犬は神様

エマのママが紹介してくれて

一頭の犬のものがたりを読んだ。

(エマ?ママ?という人は、別ブログをご参照下され)

犬は神様_f0169643_00361461.jpeg




版画家の山本容子さんが
一緒に暮らした歴代の犬たちについて書いたもののようだけど

今は絶版なんだって。


その中から
「ルーカス」という犬について書かれた文章を
紹介してくれたのだ。


昨日の午前中、出かける前に開いたんだけど
あわただしい時間に読み始めたことを後悔して

帰宅後にゆっくりお茶を飲みながら読み返した。



犬は神様_f0169643_00430601.jpeg

前にFBかなにかに書いたんだけど
(ブログかな、と思ったら見当たらなかった><)


1年か、それとも2年前くらいかな。


犬たちと散歩をしていたら
高齢の、ものごしの柔らかい上品なご婦人が私たちの前に足を止めて

唐突に、でもにこやかに
「犬って神様なんですよ!」と言ったのだ。



私はとっさに上手い返答ができなくて、
「そうですね!」なんてありきたりなことしか言えなかったんだけど


その女性と別れて犬たちと歩きながら
なんだか涙が止まらなかった。


本当にそう。
犬って神様だ。
私もそう思います。



そのご婦人を追いかけて、そんな風に言いたい気持ちだった。

だって本当にそうなんだもの。




犬たち(生きものたちと置き換えてもいい)は、
もちろんそんなそぶりはオクビにも出さないけれど

でも何かの役目を担ってやってくる。



そしてその生きようを通して
私たちに何か大きくて大事なものを遺していくのだ。

間違いなく。



このものがたりを読んで
そのときのことを思い出した。


犬って、生きものって素晴らしい。


ホントはあの女性が神様だったのかもしれないなー、なんて
今になって思うなぁ。


# by happanappamama | 2019-11-20 01:22 | つれづれ


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