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ひびのあれこれ
by happanappamama
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見えているもの、いないもの。
なんとまぁ、1年以上ぶりの更新。

ここにこそ、書きたいことがいっぱいあるはずなのに
書かずに放置しているのはもったいないよね。

こまめに書きたいと思っているのだけれど
日々の雑事に追われ…という、月並みな言い訳。

見えているもの、いないもの。_f0169643_2134276.jpg



ここには極力預かり犬のことは書きたくないんだけど
でもちょっと思ったことがあったのでサラッと。


ウチでお預かり中の女子犬・青(せい)。
このたび里親さんが決まった。

とてもよい人たちで、
奥様はまだまだお若いけれど、感性に通じる何かをお持ちの方…とお見受けする。


青は吠えの問題のある子。
お迎えいただくにあたって、その辺り「ホントに大丈夫なのか?」を考えていただいた。

無理をして迎えていただくようなことになっては
どちらも不幸だもの。

いろいろお話して、すっかり安心して託せると思っているのだけれど
当初、奥様は青が吠えることで「ご近所の反応はどうか」ということを
とても気にかけていた。

青が他の犬に吠えることそのものは大丈夫、とのこと。
あとは近隣との関係、って。


「やっぱり一緒に暮らしたい」とお申し出いただいた後
お電話で直接お話したときに

「今まで全く気づかなかったけれど、
”ウチのご近所って、けっこう犬の声がするんだな”ということに驚きました」って。

青を迎えるかどうかを真剣に考えている間
それまで耳に入らなかった犬の鳴き声がよく聞こえたのだと。


それって、とてもわかる気がする。

ウチもむーちゃんを迎えてから、
「犬と暮らしている人ってこんなに居るんだ!」と思ったもの。

妊娠したときは
「世の中、妊婦ばっかりじゃん!」と思ったし
子どもが生まれてからは
「子どもってどこにでもいるんだな」って思った。

要するに、自分がフォーカスしていないものは
見えていないし、聞こえていないのだよね。


あるときハタと気づくことって、いっぱいあるのだよなぁ。




今自分が見ている世界は、自分が見ようとしている世界だ。

だから、
気づかず見過ごしているものがあることに、
敏感でいたいなと思う。
# by happanappamama | 2015-07-20 21:08 | つれづれ
アンのこと
久しぶりにココに何か書こうと思ったら
パスワードを忘れちゃって、しばらくログインできなかった。

なんてご無沙汰しているんだろう。
前はちょくちょく開けていたのになぁ。
記事投稿の仕様も変わっちゃってるし。


『花子とアン』を楽しみに見ている最近。
連続テレビ小説は、みんなが見ていた『あまちゃん』も見ていなかったのに
村岡花子さんの生涯だと聞けば、つい見たくなってしまう。

『赤毛のアン』は、中学1年生の夏休みに初めて読んだ(のだと思う)。

長い物語を読むのが、決して得意ではないと思っていたそのころ
この超分厚い(…と当時の私は思った!)文庫本を1冊読み終えたというのは
「どんなもんだ!」という気にさせられた。

私はアンの物語が大好きになって、
それから今まで、何度その本を読んだかわからないくらい読んだ。

いい加減何度も読んで、ちょっとだけ本の傷みが気になり出すと
最初に買った文庫本は愛蔵版として引退させて
別にもう一冊買って、好きな文章に赤鉛筆で線を引いたりした。
わざわざそのために、やわらかい朱赤の色鉛筆を買って。
アンのこと_f0169643_15071880.jpg
(下が最初に買った文庫本。今出版されているものとは表紙の絵が違うし、背表紙も最初は白かった)

そのとき線を引いた箇所を見返すと
今とほとんど変わらない感性だったのだなぁと思う。



私も小さい頃、いろんなことを想像して楽しむ子どもだった。
そして、ものすごく些細なことをいつまでも覚えている子どもだった。

想像と現実と、区別がつかなくなっちゃうこともいっぱいあったような気がする。
いま考えると「あれはほんとに想像だったのかな?」って思うことも。
もしかしたら現実だったんでは?って。

自分が空を飛んでいたことだって、
全く当たり前の記憶としてその感覚さえもちゃんと覚えている。
高校生になってからも、その幼い頃の記憶を、自分が間違いなく体験したことだと信じていた。

大人になった今、頭では「想像の中の体験なのだろう」って思うけど
やっぱり空を飛んでいる感覚は、ちゃんと自分の中にあるんだよ。
階段だって、お尻をつかずに座ったまま移動していた記憶があって、
お尻と階段の間にある、弾力ある空気の感じさえ、ちゃんと覚えている。

扉を開けずに通り抜けたこともあるんだけど
これはその感覚をちゃんとは覚えていなくて残念だ。
20歳くらいまでは確実に身体が覚えていたんだけどなぁ。


『アン』のシリーズは、最後までは読んでいない。

今思えば、アンの物語は結果オーライの物語だ。
もちろん、そこが好きなんだし、
アンの書かれた時代に求められていた物語はリアリズムではなかったはずだし
モンゴメリさんも、夢のような物語としてそれを残したかったに違いない。

でも、物語の中の人生も、いつも必ずハッピーでいられるはずはなく
ギルバートと結婚して、子どもたちとともに炉辺荘に移り住んで
子どもたちが成長するにつれて
少しずつアンの家族に忍び寄る不安の影みたいなものが見えてきて
そのまま読まなくなってしまった。


『赤毛のアン』は、別の人の翻訳も出ているけど
やっぱり村岡訳が一番しっくり来るのは、
本の中のアンと同じように自分も一緒に体験しながら読んだ物語だからだ。

古い日本語の、美しい言い回しもとてもいい。
多感な時期にこの本を読んだ人はやっぱりこの訳から逃れられないだろうけど
nappaたちはどうだろうか。

自分が読んだ最初の訳には並々ならぬ愛着があるものなんだよね。
『星の王子さま』もやっぱり、内藤濯さんのものが好きだ。


今日は暑いから、窓は締め切りでエアコン作動中なのでとても静か。
nappaちゃんは明日まで中間試験で部屋に篭り中。
ジジ男とhappaはお出かけ中。
犬たちはまったりお昼寝中。

私はお茶を飲みながら、久しぶりにアンを読んでみよう。
そろそろ夏だ。
新潮文庫の100冊気分が近くなってきた。



# by happanappamama | 2014-06-01 15:46 | ほん
J.D.サリンジャー様
新聞の書評欄はあまり参考にならない。

ウチはもうかなり前から「変えようかなぁ」と思いながら読んでいる朝日新聞なんだけど、
なんだか、非常に頭のいい人だけを想定してるのかな?っていう本が多いような気がするし。

でもやっぱり毎回目を通してしまう。

単純に、本について誰かが語っているのを聞くのが好きなせいもあるんだな、きっと。
実際に新聞の書評欄を見て手に取った本って、数えるほどしかないんだけど。




でも今日の書評欄。

『サリンジャー』というタイトルの本が最初に目に飛び込んできた。

J.D.サリンジャー様_f0169643_1682170.jpg



















あらあら、興味を惹かれちゃうじゃないか。



サリンジャーは高校生のときに初めて「フラニーとゾーイー」を買ってから
(多分、読んだのはずっと後…というところがミソ)
なんとなく、いつのときも身近にいた作家だ。

初めて一人で西ヨーロッパへ出かけたとき、
言葉のあんまり通じない、一人ぼっちの不安を振り払うみたいに
持って行った『ライ麦畑でつかまえて』を読んで読んで読んだ。


誰もがそのタイトルだけは知ってる本だし、
若者は読まなければならない、みたいにも言われていたし、
なんといっても、そのタイトルがなんだかカッコよかったんだよね。

で、読んだら想像していた内容とは全く違って(笑)


想像では主人公は女の子で、もっとふわふわした小説だと思ってたんだけど
実は精神を病むほどにナイーブな少年の話だとは
全く思わなかったなぁ。

邦題がちょっと、違うものがたりを想像させるようなタイトルだしね。
浮ついた感じも無きにしもあらず、で
違うタイトルだったらどうだった?なんて思ったりする。




異国の地で、
ユースホステルのベッドの上や公園のベンチなんかで一人ぼっちで読んだということも、
もしかしたら大きく影響しているかもしれないんだけど
この本はとても大事なものになった。


サリンジャーの小説は、多分出版されているものはほとんど読んでいて
この『ライ麦~』はこの作家の、決して一番好きな小説じゃあないんだけど
それでも、懐かしさとか、外国で感じたいろいろと相まって
タイトルを聞いただけで、胸の辺りをぎゅっと掴まれるような感じがするし

今思えば、サリンジャーに触れて以降
小説の楽しみ方がちょっと変わったようにも思う。




で、本日の書評欄の『サリンジャー』。

著者のケネス・スラウェンスキーさんという方はサリンジャーの熱狂的なファンで
この本の中には知られざるサリンジャーがいるらしい。

私がこの世に誕生した頃には、もう隠遁生活に入っていたサリンジャーが
そこで毎日、発表する予定のない小説を書き続けていたことや、
もはや「仕事と祈りのふたつは区別がつかなくなっていた」ほどに
書くという仕事に没頭していたことが語られていて
やっぱり私はうれしかったな。



選者は、いとうせいこうさん。
この方の選ぶもの、気軽に「読んでみようかな」と思わされるものがたくさんあるような気がする。
文章も、変に勿体ぶってなくて好きです。



書評の最後に、嬉しいような、胸がチクリと痛いようなニュースがひとつ。
隠遁生活中に執筆された5作品が来年以降順次出版されるらしい。


モチロン読みたいけど、
生前、ご本人が承諾していたことなのかしら?ということも、ちょっと気になる。
# by happanappamama | 2013-10-13 16:28 | ほん
距離
初夏の頃引っ越してきた、ごくごくご近所さん。

噂では4人家族らしいんだけど、姿を見たことがあるのは同世代風のご主人一人だけで
他の3人は見かけたことすらない。

ここ最近、朝ご主人が前の道路で車を洗っているところに出くわす。

ちょうとお散歩に行くときだったり、帰りだったりするので
「おはようございます」ってご挨拶をするんだけど。


いつもあちらは無言。

ちらりとこちらを見ることはあるんだけど、
水の音なんかもするだろうし、私もそんなに大声張り上げてたわけじゃないし
もしかしたら聞こえていないのかもしれないなって思ってた。



ご近所だから、お互いにこれからも顔を合わせる間柄。
今朝もご主人が洗車していたので、思い切って近づいて行って
「おはようございます」と言ってみた。


私が家から出てきたとき、コチラの方を見ていたし
斜め向かいの住人だということはわかるはず。

お近づきになるいいチャンスだと思って。



でも。
動かしていた手を止めて、顔を上げて私の顔を見たのに、またまた無言。


なんだかちょっとがっかりだ。


挨拶はご迷惑なのかしら?
ご近所付き合いはしたくないと思っているのかな?



つい、この間までそのお宅に住んでいたご家族とは
同じ年頃の子どもがいたこともあって、仲良しだった。

急にお引越しが決まって、寂しく思っていたのだ。

そのご家族と同じようにお付き合いしたいと思っているわけではないけど
顔を合わせれば「こんにちは!」と言える程度の付き合いは、あってもいいんじゃないか…というよりも
必要なんじゃないかと思う。



気づかないのかと思っていたから挨拶はしていたけど
これからどうすればいいのだろう?と思ってしまうなぁ。

モチロン、そこに居るのを知りつつ無言で通り過ぎるのは嫌だけど
アチラが嫌がっているとしたら、それは押し付けがましい行為なのかなぁ。



どんな距離でいたらいいのだろ。







距離といえば。

全然カンケーないけど(笑)、食洗器との距離も測りかねる。


我が家に食洗器というものが導入されて、かれこれ4年。
いまだに距離が縮まらない。


お皿にくっついている食材はあらかじめ落としてから入れてください、と注意を受けたので
ざっと下洗いみたいなことをして機械に入れるんだけど
結局どこまでが下洗いなのか、丁度いい所でケリをつけられず
そのまま洗ってしまってきれいになりました、みたいなことが多い。

いまだに。



どんな機器もうまく使いこなせない。

つくづく、アナログな人間なのだなぁ。
# by happanappamama | 2013-09-23 10:48 | つれづれ
匂いと臭いのまわりのあれこれ。
商品名を出すのもどうかと思うけど、ファブリーズに代表される香りつきのスプレーが苦手。

無香のものも使ったことがあるんだけど、
なんだかやっぱり匂いがする。


その香りそのものは、そのとき一瞬嗅ぐ分には決して嫌な匂いじゃない…というか
いい匂いだなと感じるものもある。

でも、やっぱりそういう匂いをたくさん嗅ぐと、ちょっと気持ち悪くなっちゃう。
なんだか嘘っぽい香りなんだよね。



最近巷には、いわゆる香り関連商品がたくさん。
テレビのCMを見ていても、百花繚乱という感じだ。


布にかけるもの、空間にスプレーするものはもちろん
髪専用のものもあるし、近頃の柔軟剤は擦ると香るなんてものもあったりしてびっくり。


こういうものがたくさん発売される背景には、
どんどん臭いに敏感になっている現代人がいるのだろうなぁ。


今はもう内容が違うかもしれないけど
犬の家族のアニメーションの柔軟剤のCMも
お父さんの臭いをこっそり柔軟剤で消して、家族は安心、「あーよかった」みたいな感じが
いつも見ていて不快だった。


不潔にしている臭いとは違うだろうに。


お父さんの臭いは、昔からムスメに嫌われるものと相場が決まっているけど
年配の男の人特有の、そういう臭いに対して
「でもまぁ、しょうがないじゃない」という気持ちも同時にあって
「お父さん、クサイ!」といいつつ、そこには当然愛情もあったように思うんだけど

だんだん「クサイのは悪」みたいな世の中になっていくようで
寂しいような怖い様な気がする。

加齢臭なんていうものが言われだしたのも、この10年くらいなんじゃないだろうか。

自分はそういう臭いを放ちたくないとは思うし
もしもさりげなく家族に指摘されたら、ちょっといい香水とか使ってみようかなと思うけど、
世の中にあれこれ言われたくないな、そういうこと。

年を経ることで当たり前に現れてくる、抗いようのない変化に
「メイワクなので蓋してください」」と言われているようで嫌だし
いろんな意味で、古いもの、年取ったもの=汚いものみたいになっていくのは悲しい。

臭いに限らず、そういう世の中は怖いな。



…といいつつ、
我が家は中型犬が2匹(時には3匹)いるので、実は臭いはとても気になる。

まぁ、家族である私たちはいいんだけど、来客時は、ね。


で、やっぱり消臭グッズというか、臭いを分解するというスプレーみたいなものも
いろいろ使ってみた。

なるべく動物(人も含めて)の体に負担のないもので
効果のありそうなものをとりあえず定番的にストックしていて適宜お世話になっているけれど
ある程度の臭いは仕方がないな、とも思う。

そういう生き物なのだし、
そういう家族を持ったものとしてはある程度折り合うしかないもんね。
彼らの臭いも、愛しい彼らの一部なんだし。

基本的な掃除と、空気の入れ替えと、アロマポット使うくらいでいいよね?



でも「この家、くっさいなぁ」と思われるのは悲しいから
「犬がいるんで、ちょっと臭うけどゴメンナサイ」とは釈明するんだけど。


生活臭もなにもかも、ぜんぶ犬のせいにして(笑)





…などなど言いつつ、
でも決してイイにおいのするものが嫌いなわけではなく、むしろ好きです^^;


香水も、好きな香りのものはいくつか持ってるし、お気に入りの精油だってたくさんある。

そしてやっぱり、花だったり、草だったり、木だったり
自然由来のものがやっぱり心地いいような気がする。

いい香りは人をリラックスさせるし、ちゃんと効能だってあるんだろう。

自分が加齢臭を放っていると思うのはいささか辛いけど、
いい香りをまとっていると思えば楽しいしね。

寝るときに枕にいい香りを忍ばせると、気持ちよーく眠れるし。


でもそれは、やっぱり人工的な、わざとらしい香りじゃない。



自然のものから香りを抽出するのは手間がかかるけど
手間をかけずに作る香りは、安くできるんだよね、当然。


だからきっと、スーパーで数百円で売られている柔軟剤やスプレーに含まれる香りは
それなりの香りでしかないんだと思うな。


そして、そんな大安売りの匂いグッズは
香りと一緒に体によくないものもたくさん放っているんだと感じる。


そんなもの、吸い込みたくないし、
むしろそっちが、より気になってしまうのかもしれないな。
# by happanappamama | 2013-09-22 14:56 | つれづれ


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